Far East Lounge 三代目春駒小林一彦オフィシャル 小林一彦イラスト

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2007年08月の日記

プランニング、、実家プロジェクト、、音戸ロッジ、、世界陸上、、 (2007.08.31)

午前中プランニング。昼前にその企画書部分をメール、手描きのデザイン案をFAXで某プロダクションへ送ると、すぐ返事のデンワ。かなり好評にてひと安心。

午後より、実家にて建築家D氏と打ち合わせ。二世帯+テナント部分の3階建てプロジェクト、平面図レベルではこれでほぼOK。来週、微調整したものを見せてもらったら、次はたぶん設計に入ってもらうことになるだろう。その後は予算、、、、、これが一番気がかり(笑)。

打ち合わせ終了後、来月中旬のプレゼン資料のため、ひとりカメラを持って某所を取材。チャリで行ったのだが、風が涼しいではないか。よかろう。夏はもう十二分に味わった。

ところで音戸ロッジが経営不振により本日をもって閉館になったんだとさ。本日夕方のTVのニュースで知った。1962年オープンというから俺と同い年。「花見がしたい」という闘病中の親戚を連れ、ここでメシ食ったのは今年の4月の初めだった。時代の流れとはいえ、寂しい限り。

夜、TVで世界陸上。やっぱり世界はすごいよねぇ!と感動しつつも、なんとかならんのか毎度キャスター役のO田U二殿。頼む、番組が終了するまで黙っててくれ(笑)。
お助け要員、、、ナイアガラ状態、、、 (2007.08.30)

8月は猛暑に比肩しうるほど過酷な案件のオンパレードだったが、特に難儀した2件が本日をもって臨界終息。そのうちの1件は、かつて広島でNo.1の実力を持つと称される某コピーライター氏が「自分には難しくて到底扱えない」とギプアップし、俺が代打として起用されたという経緯がある。こういうケースは今年だけで数件あった。もちろんキレイにやり遂げたけど、だからといって俺がすぐれているということじゃなく、「お助け要員」として駆け込み寺的に利用されることが単純に嬉しい。それはそれで信頼され人の役に立っているということだから。

夜、喫茶こばやしスタジオにて日課の独り稽古。少しは涼しくなっているはずだが、湿度が高いのかこの数日間の発汗量は一番かも。俺はオヤジが競輪選手現役時代、それももっとも強かった頃の練習風景を何度か見た事がある。ローラートレーニング(自転車をローラー台の上に置き、全力ダッシュを何度もくり返すやつ)で、彼の体から吹き出す汗の量ときたら、まさに滝のようであった。今の俺の稽古はおそらくそれと同等か、ひょっとしたら超えているかもしれん。ビリーブートキャンプなんぞカワイイもんよ。
スピリチュアル・ヨーガ、、、今月4本目のTVCMナレ、、、 (2007.08.29)

ヨガをはじめて約9年。心体育道で習ったメソッドに3年前からは独自に「火の呼吸」も取り入れ、それなりの効果を実感している今日この頃、注文していたディーバック・チョプラ著「スピリチュアル・ヨーガ」が届き、仕事の合間にページを開く。なかなか興味深い示唆多し。これって、やってるからわかることなんだろうな。

夜、楠町の映像プロダクションで某ライブイベントのTVCMナレ録り。途中、原稿の修正があって中断したり、俺が同じ場所で何度もカンだりして2パターンを録るのに1時間近くもかかってしまう。己の未熟さを痛感。日々のナレーショントレーニングの内容を見直す必要あり。
肩書き (2007.08.28)

忙しさの中にフッとハマったエアポケットのような一日。そのまま休日にしてしまおうかとも思ったが、手が自動的に企画シートを打ち始める。俺の提案するプランは、ますます「掟破り」の度を強めて来た。それが業界で異端であったとしても、クライアントが喜び、ターゲットにも明確に響くのであれば、問題ないのである。
しかし「コピーライターです」と自己紹介すれば「コピーライター」としてしか相手は見てくれない。プランニングもするのであれば「兼プランナー」と付け加える必要があったりして、この業界、まだまだメンドーが多いのだ。業務形態を考えればいっそのこと坂井直樹さんみたいに「コンセプター」で通したほうがラクかもしれん。俺の名刺にはあえて「肩書き」を入れていないので、名乗る分にはどうにでもなるのだ(笑)。
あれから一年 (2007.08.27)

終日執筆。今日は風があるので冷房は使わず窓という窓をすべて全開。涼風が気持ちよく吹き抜けていくのはいいが、出力した原稿や資料までもどんどんすっ飛んでいく。その光景の美しいことといったら(笑)。俺もこのように軽〜くいきたいもんだ。

広島県営水道送水トンネル崩落事故で、呉や江田島など2万5000世帯が断水したのは、ちょうど去年の今頃。水を詰めたポリタンク10個をクルマに積み、吉浦に住むオタマの両親の家まで数日おきに給水支援をしたものである。一年経つのは早いですのう。
ラスタな気配 (2007.08.26)

デザイン事務所からの修正指示に備え、終日自宅待機。
昼メシ食おうと、自宅周辺をチャリでブラブラしているとき、旭町にかなり浮きまくりのショップを発見。入口左側の壁一面をラスタカラーに塗りたくった、バーのようなレストランのような。日曜日は休みなのか、それともすでに営業していない? 看板らしきものも見当たらない。よっしゃ、明日の夜にでも偵察に来よう。もしもレゲエバーだとしたら、、、、、しょっちゅうお邪魔させてもらうかも(笑)。
老画伯、、、手強い案件、、、 (2007.08.25)

オタマが朝早く仕事に出たので午前中はクーの子守り。
昼過ぎ、クーを連れて実家へ。東京でフリーのエディターをやっている弟のユーチャンが、「早ければ年内にも建て直すことになるかもしれない実家の在りし日の姿を記憶にとどめたい。ついてはイラストレーターをそっちへよこすから家をスケッチさせてほしい」とヤツにしてはなかなか粋な提案をしたのは半年前。そのイラストレーター氏がついに本日昼過ぎに到着するというのでエスコートをかって出たわけであるが、彼、O画伯は予想に反し高齢者であった。年齢は69とのこと。このクソ暑いのに仕立ての良さそうなソフトジャケットに身を包み、メガネの奥で好奇心一杯のコドモの目が笑っている。俺は一発でこのキュートなジイチャンが好きになった。着いて早々家の向かいの歩道に手慣れた所作で椅子、画材道具をセットするや猛然と下描きにとりかかる。

「ビーチパラソル立てましょうか」
「いやけっこうですよ」
「なにか冷たいものでも」
「だいじょうぶです。すぐに終わりますから」

とりつくしまもない(笑)。蚊取り線香だけは置かせてもらい、邪魔しては悪いので引き上げる。
そのままクーを親に預け、今日中に仕上げねばならん仕事があるので一人で家に戻り、プロダクションのデザイナー氏とデンワで何度もやり取りしながら執筆。互いに出口が見つからず苦戦するも、夕方になってデザイナー氏がネットで有力情報をゲット。これを機にみるみる霧が晴れてゆく。夜10時、なんとかフィニッシュにこぎ着け、メールで原稿を送る。今回の案件、情報が少ないうえに専門的でかなり手強い。プロダクションではこの二日でデザインを組み、月曜昼イチで提出することになっている。その制作過程で不具合があれば当然修正に応じなければならん。っつーことは明日も終日自宅待機じゃの。ふんばらせてもらうです。しかし、なんなんじゃいこの一週間の過激さは。日々の肉体鍛錬がギリギリのところで俺を支えてくれている。
ナレ録り、、、沖縄料理、、、 (2007.08.24)

終日執筆。珍しく1本もデンワが鳴らず完全に没頭でき、来週火曜日締め切り分が、たった一日でほぼ仕上がってしまった。
夜、西区の映像プロダクションにて某結婚式場のTVCMナレ録り。ナレ録りは今月だけですでに3本目。「高級外車」「プロレス告知」「ブライダル」とまるで脈絡ないが、「7色の声を持つ男」と評される俺だからできる、、、のか?!
それにしてもこの時点のトータルで、CMナレ録りがもっとも多かった去年一年分を上回っている。広島のナレーションを生業としている者の中で、手がけているTVCMの本数に限って言えばトップクラスの一人であることは間違いない。と思ったのもつかのま、女性ナレーションパートを担当したK嬢は、ほぼ毎日、多い時は日に4本もこなすことがあるという。ひでぶっ!

収録終了後、久保直樹、ツン氏、平泳魚氏(彼はママチャリで東京からやって来た。現在はPICOに居候中)、ナッキー嬢と、沖縄料理店「うちなー」で宴会。久しぶりにソーキソバなどを食し、10月に予定している沖縄リベンジの気運を盛り上げる。
ながらライフ (2007.08.23)

午前中より尾道に出張。夕方帰宅。
執筆・広告業が忙しくなると、「そのほかのこと」のアイデアもいろいろ思いつく。ナニナニをしながらまったく予期せぬ別のナニナニのインスピレーションが舞い降りて来るのは俺の常。
農薬を使わず、雑草も抜かない「自然農法」のキモは回りの自然との融合にあると聞いたことがある。単一単体の種を一カ所にまとめるとロクなことにはならんそうだ。俺の場合も雑多な俗事を同時進行でこなす節操のなさが、案外面白い相乗効果を生み出しているのかもしれん。
日々勉強 (2007.08.22)

怒濤の執筆モード。
今回の案件は、某システム関連の製品パンフ。コピーライター稼業は得意分野はあっても不得意分野があってはサバイバルできないのである。じゃあ俺がシステムに詳しいか?ンなわけない。だから毎回猛勉強だ。相当詳しくなったあたりで不思議なことにこのテの案件はピタリとやってこなくなる。で、1年くらいたって復活しよる。おまけにそれはかなりの部分バージョンアップされているからまたまたイチから勉強だ。
難攻不落に思えたわずか数ページ分のコピーが、いいカンジでかたちになりつつある。明日は尾道へ出張し、明後日はCMナレ録りも控えている。このハードスケジュールがあと何日、何ヶ月、何年続くか知らんが、オファーがあればガンガンやればいいじゃん。仏教で言うところの「三昧」よの。
ヘミングウェイは「知っている事だけ書こう」と言った (2007.08.21)

修学旅行のバスの中で「伝言ゲーム」というのをやった記憶がある。「いつ、どこで、だれが、ナニをした」というカンタンな文章をバスの最後列から前の席の者へ順番に耳打ちで伝え、最前列に届いた時の文章の正確さを競うというもの。結果はどのグループも内容が大きく変わってしまい、人の記憶のいいかげんさ、情報の受け止め方の個人差を思い知らされたが、昨夜、俺の送った原稿の修正指示が、まさにその伝言ゲームのごとく、クライアント営業氏>クライアント担当氏>代理店担当氏>デザインプロダクション上司>デザインプロダクション担当氏>俺という長〜い道のりで展開され、エンドの俺は非常に不快な思いをさせられた。なんですか、その理不尽な指示は。ええ、ボクはナットクなんかしませんですよ。ハナシが違うじゃないですか。今日はもう遅いので、明日あたらめて協議させてください。プンプン!
で、本日、バトンをずずいと遡り、クライアント担当氏と会って直に話をうかがってみたならば、そりゃもう「おっしゃる通りで!」と思わず絶叫しその場で<ラジオ体操第一>をやりたくなるほどごもっともなオーダーであったのだ。早合点した俺がすべて悪い。敬愛するハンター、齋藤令介氏は、テレビや雑誌では知っているけど面識の無い人物の評価を訊ねられたらきまって「その方には会った事ないのでわかりません」と応えるそうだ。そう、これが正しいよやっぱり。俺らはマスコミや他人が勝手な解釈でたれ流す情報に翻弄され過ぎている。自分の目で耳で舌で確かめなさーい。あーこりゃこりゃ!
ほぼ自動操縦、、、あたたかな存在、、、 (2007.08.20)

午前中プランニング。
午後より、市内某企業にて打ち合わせ。デザイナーのT氏、俺の顔を見るなり
「昨日は早めに原稿送ってもらって助かりました」
とニッコリ。
「ええと、、、なんでしたっけ?」
っつーぐらい、すぐには思い出せなかったが、昨日キャンプから帰って、睡魔と闘いながらシステム系製品のややこしいコピーを書き上げたのだった。その後、9時過ぎには意識が朦朧となり10時前に白目を剥いて昏倒。で、今朝の起床は8時ということは10時間も爆睡したのか。先週はかなりハードだったから無理もない。サノヨイヨイ。

夜、セガレが、フトンの上で大の字に寝転がってボソッと言うには、
「やっぱりトト(俺のこと)が、おうちにいるほうがいいな」。
オタマの話では、俺がキャンプに行ったまま一日帰らなかったことをヤツなりに気にしていたらしい。このチビ助が放つあたたかさ、愛おしさをうまく表現するコトバが見つからない。ありがとう。
炎天 (2007.08.19)

ライブ終了後も宴は延々続き、夜が白々と明け始めた頃にようやくテントへ。しかし、8時には暑さで汗だくとなり、寝てはいられなくなる。このキャンプ場、緑濃い山の中腹にあり、例年だと朝晩は気持ちよく冷え込んでくれたものだが、やはり今年の猛暑は限度を超えている。芝やその他植栽も大半が茶色く枯れており、それが一層暑苦しい。それと「ムシ」。俺はほとんど無傷だったが、女性の何人かが蚊、ブヨなどの集中砲火を浴び、ヒドいひとは炎症による水ぶくれをおこしていた。これも暑さと関係があるのかもしれない。
テントや調理機器、ゴミの撤収を全員でやり、昼過ぎ解散。昼イチのフェリーを逃がしたので椎名さんファミリー、梶山らと陸路で帰る。そうそう昨夜のライブ、椎名さんにはFarEastLounge新メンバーとしてフルで入ってもらったが、実にツボをこころえた演奏をしてもらった。評判もよかったし。

セットリスト
「カプチーノもう一杯」>「星の波間に」>「夫婦蛸」>「ひかりのうた」

、、、、だったのだが、選曲は正直なところしくじった。それと俺の体調不良。猛省すべし(泣)。
14回目のパーカッションキャンプ (2007.08.18)

能美島真藤山「パーカッションキャンプ」に参加。いまやすっかり夏の風物詩となったこのイベントも今年で14回目。俺はその約半分にエントリーしている。例年より若干参加者が少ないような気がするが、顔なじみに加え、10代20代のニューフェイスも見られ、世代交代の気配濃厚(笑)。
しかし、こうまで暑いと不思議とビールよりは冷えたお茶に手が伸びる。でも、冷えたお茶より、やっぱり泡盛のロックの雰囲気ではないかいな、というようなよくわからん論法で、日よけテントの下、真っ昼間から酒宴が始まる。夕方までには2本がカラになり、俺は酔いどれガエルと化す。
8時過ぎよりライブ開始。予想はしていたが、俺らFarEastLoungeの出演は全12バンドのラスト。出番が巡って来たのは日付が変わってからであった。やれやれ。いや、ヨレヨレでありましたとさ。
スタジオDUCK25周年 (2007.08.17)

午前中、執筆&プランニング。
午後から夕方まで某デザインプロダクションで打ち合わせ。
その後、明日の能美島での「パーカッションキャンプ」の準備をし、夜、8時半よりスタジオDUCK25周年パーティーにウクレレ一丁で参加。

セットリスト
「愛しいひとよ」>「カプチーノもう一杯」>「Dreamin'」>「星の波間に」>「アカバナー」>「ハワイ航路(新曲)」

MCほとんどナシで持ち時間(セッティングも含む)きっちり26分でフィニッシュ。ラストの新曲、評判よろし。やってヨカッタ。スタジオDUCK、これからもよろしゅうに〜。
通常モード (2007.08.16)

本日より通常業務。
終日執筆&プランニング。夕方より某映像プロダクションでTVCMのナレーションを2本収録。
夜、実家にて、東京から帰って来ている弟のユーチャンを交えての親族会議。
その後、街の中心部にある某居酒屋に行き、やはり帰省中のI、盟友Nと飲む。
結局、予定していた残り2件に手をつけられなかったほど多忙であったが、やはりこれくらいバタバタしているほうが、俺は調子がいいようである。貧乏ヒマなし!(笑)
平和を愛するヤマアラシ (2007.08.15)

オタマ、セガレ、甥っ子の直樹を連れて、音戸の大浦崎海水浴場へ。数年前ここで、ボーイスカウトの関係者からの要請で海洋レジャー講師のようなことをやったことがある。広島市内から1時間で来れるし、人は少ないし、風光明媚なところも気に入って、何回か足を運んでいるが、昨日ネットで調べて、驚いた。戦時中、大浦崎は特殊潜航艇建造工場があり、人間魚雷「回天」の特攻訓練も行われていたという。終戦記念日に海水浴なんて不謹慎な、と言われそうだが、先人の永遠に拭えきれない悲惨な記憶を心にとどめつつも、今、生を謳歌する事が一番の供養と考えている。

カープvs巨人TV中継の合間、ときどきNHK特番の9条に関する討論会を見る。核武装論、集団的自衛権などクソして寝ろと言いたいが、一方でこの国の過剰な武器アレルギー体質をも憂慮する。俺は今の時代、敬愛するハンター、齋藤令介さんの提唱する「ヤマアラシ型軍備」に賛同する。核を持つ必要もなく、アメリカの歪んだ庇護も受けず、海外に派兵せず、基地の拡充もせず、誰にも文句を言われないレベルでひたすら「防衛」に徹したこの平和なシステムを当屈折日報で詳しく解説できないのは、齋藤さんが「原始思考法2」を出版直前にお蔵入りさせてしまったからだ(笑)。これが世に出ていれば、9条問題の先にあるもうひとつの有用な議論が展開できたかもしれない。「捌きとは、攻撃に対して的確に反応し、的確に対処することである」という心体育道の理念は、原始思考法の根幹にも符合する。今の日本は、いや、国家ウンヌンの前に<個人>は的確に反応できているだろうか。NHK特番を見て、このような国の行く末を憂う議論は大いに続けて欲しいと思いながらも、俺にはかなりの参加者が建前論に終始し借り物のつまらぬ尺度を振りかざしているように見えた。齋藤さん、これ、俺だけが読むのモッタイないですよ、マジで。
スーダラライフ (2007.08.14)

午前中、実家に預けっぱなしだったモノや服の整理。蛍光オレンジカモフラージュのハンティングコート、バイク用ジャケット、各種トレーニング機器も容赦なく処分。来年中には竣工予定の春駒邸には当初、収納スペースをたっぷり確保する予定だったが、そうするとまた余計なモノを溜め込むことになりそうなので、必要最低限にとどめる方向で図面をおこしてもらっている。旅の自由度も荷物の少なさに比例する。シーカヤックやバックパッキングがそれを教えてくれた。人生も軽々といきたいけぇのう。
秋の気配 (2007.08.13)

午前中一杯、東へ西へ墓参り行脚。暑さは相変わらずなれど、空はやや高度を増したようで、そこはかとなく秋の気配。

夜、実家の喫茶こばやしスタジオで、いつものように日課の歌い込み&独り稽古を終えたあと、オフクロからある重要な決断を聞かされる。うむ、心より納得。もう充分だろう。今月一杯で某老舗喫茶店が29年の歴史に幕を引くことになりそう。
この暑さゆえ (2007.08.12)

夕方、サティの食品売り場でレジを待っていると、突如朗々とした美声が響き渡る。
「わたしのおはかの〜ま〜えで〜、泣かないでください〜」
ぐおっ、「千の風になって」じゃん。
声のするほうを見たならば、ブカブカのチノパン、赤いチェックのシャツにフィッシングベスト、真っ白の長髪を黒いヘアバンドでまとめた、この時期にしてはちょっと暑苦しいんでないかい的ファッションのジイサンが、買い物をレジ袋に詰める台のあたりで誰に向けるでもなく歌っている。一般客が彼のそばから慌てて離れるのを見ると連れはいないようである。場違いと言えばこれほどのミスマッチもそうお目にかかれるもんでもない。感心して見ているとおやおや、ジイサン、レジを回り込んでこっちへやってくるではないか。
「眠ってなんかいません〜、千の風になって〜、あの大きな空を〜吹き渡っています〜」
満面の笑み。しかも身振り手振りを交えての熱唱。久しぶりに見る上物のキ印である。ある程度修練を積んだ声量であるが、無理もない。これだけ暑けりゃこういう気の毒な御仁も出てくるのだなぁ。わはははは!
風の通る部屋、、、はだしのゲン、、、 (2007.08.11)

実家の皆実町一丁目は、広島名物である「凪」の状態がしょっちゅうで、夏の暑苦しさは格別であったが、そこから1kmも離れていない当セレブマンション(どこがじゃ)3Fは、不思議なことにほぼ一日中強めの風が吹いており、おかげで本日も快適に過ごせた。これで前の通りの自動車通行量が少なければ言うことなしなんじゃがのう。

夜、テレビで「はだしのゲン(後編)」を見る。ゲン役の少年がナイス。広島弁もカンペキ。前編も見るべきであった。原作は少年ジャンプに連載していた頃リアルタイムで読んでいた。最近コミックスを読み返した友人が
「ゲンみたいな広島弁はあんまり聞かれない。お前は別じゃが」
と言っていたけど、ほうかのう、俺の回りにはまだまだようけおるで。ゲンは元気のゲンじゃ。広島弁は俺の元気の素じゃ。俺はFMのパーソナリティ時代もほとんどそのまんまの広島弁で通した。当然じゃ。なんでネイティブ広島人が「それでさぁ」などとトークするんじゃいバカタレが。誇りを持って「ほいじゃけぇ」と言わんかい(笑)。
盆入り前、、、屋上稽古、、、 (2007.08.10)

ゆるめの執筆。
メールやデンワで時折修正指示がくるけど、そんな切羽詰まったカンジもなく、みなさんすでに盆入りなごみモードか。
と、某映像プロダクションからはCMナレのオファー。収録日は通常ならまだ盆休み中なれど、あっしは問題ありまへん。いかせてもらいマッスルでぇ。

午後、実家にて建築家D氏と打ち合わせ。1階テナントスペースを出来るだけ広く確保するため、同じく1階に設けるはずだった7帖の道場を屋上4F部分へ移すことになりそう。まぁ稽古が出来ればどこでもいい。
夏の温泉、、、周防大島、、、 (2007.08.09)

某輸入車ディーラーの取材で、デザイナーT氏と岡山へ。スカッと気持ちよく晴れ渡った夏空へ向かっての高速ドライブは、いい気分転換になった。っつーか、旅に出たいのう。明日からT氏は湯布院へ社員旅行とか。俺は小学生の頃、夏休みになると別府の従兄弟の家で過ごすのが常だった。徒歩10分の距離にクヌギ林があり、カブトやグワガタが好きなだけ捕れた。山や海でさんざ遊び回ったあとは、風呂場へ直行。従兄弟の家だけでなく、近隣の住宅すべてが天然温泉。お、そうか、今気付いた。それで俺の頭の中では「温泉=夏に入るもの」なのか。

夜、実家の喫茶こばやしスタジオで日課の歌い込み&心体育道稽古を終えたあと、オフクロとしばし話し込む。俺はヨシオじいちゃんやその母親でハワイに移民したツネのことをもっと知りたくなってきた。なぜ、ツネは太平洋の向こう側を目指すことになったのか。また、いつ頃、誰と行ったのか。ハワイで生まれたヨシオじいちゃんは、何歳で広島に帰って来たのか。で、オフクロから新情報。生前ツネさんは「周防大島に親戚がおってウンヌン」と言っていたのを聞いたことがあるそうな。さもありなん。彼女が山口県周防大島の出身であれば、ハワイ行きは充分納得できる。あそこは広島に次いでハワイ移民を多く輩出した場所。原爆投下で写真、手紙など多くの情報が消失した広島に比べ、周防大島にはいまだにハワイ移民の子孫達のネットワークがあるのだ。てがかりは周防大島か。
絶好調 (2007.08.08)

怒濤の執筆モード。夕方には両の瞼がピクピクと痙攣を起こすほど。しかし、気力、体力は満ち満ちておるぞ。盆休みがなんじゃい。そんなもんいらん!(泣)

絶好調の理由のひとつが「熟睡」にあるような気がする。めちゃくちゃ寝相の悪いセガレの毎夜の足蹴り連続攻撃による睡眠不足を避けるべく、数日前、家族雑魚寝状態からイチ抜けし、俺だけ米軍海兵隊野戦用ベッド「キャンプコッド」に寝るようにしたところ、これがアタリ。マリアナ海溝より深〜い眠りへ真っ逆さま。夢さえ見ないほど。で、朝がくれば目ぇパッチリ、頭スッキリ、股間も、、、、、こら、ナニをいわせるのですか。まぁいい。とにかくヨシ。ヨーシヨシ。
リンチな気分 (2007.08.07)

午前中、某大手システム関連企業のオフィスにて打ち合わせ。
午後より執筆。プロダクションやクライアントの盆休みは10日、11日からだそうで、それまでに原稿を入れて欲しいと念押しされている。ようがす。なんでも喜んでやらしてもらうでがす(ややヤケ気味か。笑)。

猛暑が続くと、なぜだか無性にデヴィッド・リンチの映画が見たくなる。「ブルー・ベルベット」「ワイルド・アット・ハート」「ロスト・ハイウェイ」「ストレイト・ストーリー」「マルホランド・ドライブ」etc。彼の作品には必ず出てくる、薄暗いヘッドライトがてらしだす真夜中のハイウェイが好きだ。あのエロい女たち。あのオールディーズ・ナンバー。退廃と虚無の中、怪しく刹那に輝くあのバイオレンス。
その男ヨシオ・フォーエバー (2007.08.06)

原爆投下から62回目の夏。
俺の母方の祖父、濱本嘉夫から聞き出した被爆体験を、その甥っ子、吉田良夫が綴った小説「ある鎮魂歌」。その中に、江波(爆心地から約4km)からキノコ雲を見た嘉夫のコメントがある。

「パッと目に入ってきたのは広島の市街である。いや、正確にいえば市街ではない。市街の方角で、その上空にかかっていた五色の雲である。思わず見とれてしまう。なんとその色の奇麗なことよ、、、、、! 西方浄土からの御来迎の雲、紫雲といわれるものもかくやと思われたことであった」

それから嘉夫ジイチャンは、2本の川を泳いで渡り(橋が爆風で崩壊したため)、千田町鷹野橋にあった自宅に帰り着く。もちろん家は跡形も無く、瓦礫の下、朝、家を出がけに母親を見た箪笥のあった場所と思われる位置を掘り返して、二つ折りになった小さな白骨を発見するのだ。

「まだ熱い。ガラッときた直後に火がきたものであろう。指の間から骨の白い粉がさらさらとこぼれた。不思議と涙はなかった。出がけに見た庭の向日葵も焼け焦げて、根元の部分だけが残っていた」

その時彼は45歳。俺も10月で同い年になるわけだが、彼の強さには到底及ぶものではない。翌日、焼死体がまだそこかしこで燻る中、驚くことに彼は廃材をかき集めて家を作り始めるんじゃで。すご過ぎて笑いがでるぜ。絶対真似できんよ。そのときの心境、是非とも彼の口から聞いてみたかった。その想いが俺に歌を作らせたのだ。

『その男ヨシオ』

1945「8月6日」イン・ヒロシマ
ガイガーカウンター 振り切るほどの放射能
まだ黒焦げの 焼死体くすぶる 瓦礫の街
見ろよ一人の男が 汗にまみれもう家を 作りはじめてる

 そうだ!
 その男ヨシオ
 この俺のジイチャン
 その男ヨシオ
 くじけない男
 オリャ、オリャ、オリャ!生きたるんじゃ!

ツライ時こそ 笑ろうてみせや 男なら
絶望の朝に 希望のメロディ 口ずさめ
まだ幼い カズオの命が 腕の中
なすすべなく 儚く 終わったとしても

 そうだ!
 その男ヨシオ
 涙に沈んでも
 その男ヨシオ
 何度でも立ち上がる
 オリャ、オリャ、オリャ!生きたるんじゃ!

あなたが逝ってしまうまえに
もっと話したいこといっぱいあった
あたたかな眼差しのその奥の
覗いちゃいけない 哀しい記憶を 

 今もずっと
 溢れる勇気で
 その男ヨシオ
 俺を照らし続けてる

 その男ヨシオ
 この俺のジイチャン
 その男ヨシオ
 くじけない男
 オリャ、オリャ、オリャ!生きたるんじゃ! Don't give up!

 Get up,Stand up、、、、足に力込め
 Get up,Stand up、、、、大地を踏みしめて
タライ日和、、、沖縄の神髄、、、 (2007.08.05)

午前中、仕事に出たオタマの代わりに、セガレの子守りで近所数カ所の公園を巡る。この炎天下だ、ヤツの乗った三輪車を後ろから中腰で押して歩くのは、日課の武道稽古よりキツかった(笑)。
家に戻ってからはベランダに水を張ったタライで行水させる。オモチャとともに浸かったまま1時間も出ようとしないセガレ。ははは。な〜んか昔、俺も小さい頃こういうことオヤジにやってもらったような気がするなぁ。

夕方、NHK「日本人の知らない日本へ〜沖縄空手の神髄〜」を見る。ナビゲーターは空手七段でもある作家のC・W・ニコルさん。空手発祥の地、沖縄に渡り、「ティ」と呼ばれていた約400年もの歴史を誇る空手のルーツを求めて旅するというものであったが、なかなかに興味深かった。普段はサンシン作りの名手として生計を立てている初老のオッサンが実は古代琉球空手「ティ」の達人だったりする。なぜ、あなたはいまだにティの稽古を積むのか、との問いに彼いわく
「サンシンは弾きたい時に弾きたい。眠くなったら眠りたい。つまり、勝手気ままに生きるためです」
これ以上、単純明快な理由があるだろうか。っつーか、俺もまったく同感なのである。そしてこれこそが「武」の本質と思う。自分がやりたい事を貫くために護身術の腕を高める。こっちからは攻撃しないが邪魔するヤツはゆるさんぞ、の心なり(笑)。彼を沖縄音楽の典型であるというつもりはないが、生き様、生活と音楽が密接にリンクしているという点において、本土のミュージシャンの多くは太刀打ちできない。今日のテレビでその思いを新たにした。すまん、俺は沖縄カブレであることは重々承知している。ここらへんをうまくコトバにできないもどかしさはある。表現者であるなら沖縄の凄み、深みを知っておいて損はない。それを知るにはどうすればいいか?簡単だ。こちらが身に寸鉄を帯びず、完全なる無防備=ノーガード状態でかの地に身を委ねる事である。卑小な自負心なんぞ捨ててから行くべし。はからずも俺は2001年にミュージシャンとしてでなくシーカヤッカーとして初めて沖縄の地を踏めたのは幸運だった。正直に言おう。俺は思いっきり油断していたんだよ。だからこそ、その「奇跡」に魂が満たされたのだ。俺の感動と恐怖。わかるかなぁ?わかんねぇだろうなぁ?(笑)
マイレージ超割、、、盆ジュール激務、、、 (2007.08.04)

ANAマイレージ会員オンリーの格安航空機チケットバーゲン「超割」で、10月沖縄ツアーのチケット奪取にワレ失敗ス。予約が始まる午前11時きっかりにアクセスした時点ですでに売り切れ。どうなっとるんじゃい?!まぁ、通常のチケットはあるはずだから気は落とすまい。

執筆業務がにわかに激しさを増してきた。今月、世間一般がどのタイミングで盆休みをとるのか、世間一般人でない俺には予測がつかんのだが、今抱えている案件のほとんどを盆前にすべて仕上げておかねばならない雰囲気濃厚。来週は県外出張を含めインタビュー仕事が3本。その間を縫っての執筆となると、、、、考えたくないのう(笑)。
書きたい事が多いゆえ、、、ハワイ航路、、、 (2007.08.03)

明け方、台風5号は広島をかすめて日本海側へ。我が家の被害はゼロ。
終日執筆。新規案件もちらほら。
先日送った某季刊誌原稿のレイアウト確認pdfがデザインプロダクションから送られてくる。自分で書いておきながら、なんという文字の多さか(笑)。たしか昨年末に創刊号が出た時「もう少し文章量を減らし、かわりに級数(文字の大きさ)をあげて年配者にも読みやすくしてほしい」とクライアントに言われた気がする。まぁ、しばらくこのままで様子を見るスか。

夜、出し抜けに新曲が降りて来る。6月に歌の師匠、豊田勇造さんから「ハワイへ移民した曾おばあちゃんのこと、ぜったい歌にすべきやで」と言われたが、なんとなく、そんな感じの曲に仕上がった。タイトルは「ハワイ航路」。そのまんまじゃん(笑)。
台風5号 (2007.08.02)

朝、いつもと違い、風が逆に吹いている。台風近し。
鏡を見てギョッとする。そうか、昨日散髪行って「ソフトモヒカン」にしたんだった(笑)。慣れるまでしばらくかかるかも。

終日執筆。夕方、実家へ行き、本日深夜に広島を襲撃するかもしれない台風5号で断水した時に備え、我が家と実家の分の水をタンク数個に貯めておく。ついでに停電もあるかもしれんので、ライト類の電池も補充。っつーか、停電したら、パソコンが使えん>原稿も書けん>締め切りに間に合わん。これはまずいと一日前倒しで原稿を仕上げにかかる。5号のやつ、豊後水道をストレートに通って広島に直撃すれば、けっこうな被害をもたらす可能性が高い。油断ならん。
どっどどどどうど (2007.08.01)

昨夜遅くからトラブル続き。深夜、メールで原稿大幅修正の指令が下り「詳細はFAXで」ということであったが、そのFAXの印字インクがエンプティ。
明けて本日。詳細は省くが、さらにややこしい試練が数々待ち構えておりましたとさ。こういう時「不運」と感じるか?否!この先に待ち構えているハッピーサプライズのためのオードブルと俺は考えたい。かつて経験した命そのものをも脅かされた危機的状況も、間一髪くぐり抜けられたあとでは、笑い話になるもんさね。さぁ、どんどんまかり通ったるで。困難をぶち破る、いや、笑い飛ばす俺の呪文は「風の又三郎」から教わったものだ。

どっどど、どどうど、どどうどどどう!
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど、どどうど、どどうどどどう!

その勢いをかり、夕方馴染みの散髪屋へ。
「暑いけぇバッサリやったって」
「了解っス。ところで常々お客さんにピッタンコのヘアスタイルがあるんスけど」
「まかせます」
で、十数分後(ここはカットのスピードがおそらく日本一)鏡の中へ映ったのは、これまで見た事がない未体験ゾーンの俺であった。
「こ、これはなんというヘアスタイル?」
「名前はとくにありませんが、<ソフトモヒカン>の一種です。それの<孫悟空バージョン>といったところス」
ぶはははは。気に入った。たしかに孫悟空そのものである。香取某に勝ったかも。如意棒がギターやウクレレだとしたら、あとは「きんとうん」だけですな。
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