Far East Lounge 三代目春駒小林一彦オフィシャル 小林一彦イラスト

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2005年10月の日記

天然発酵 (2005.10.31)

通常のレギュラー執筆に加え、数件の企画書をつめる。丁寧にやろうと思えば、いくら時間があっても足りない。やり過ぎてもテキトーでもいかん。サジ加減が難しいッス。いや実際、ギチギチに出来上がった企画は往々にしてクライアントにかえって息苦しさを与えてしまうこともある。相手がこちらの案にそってイメージを膨らませることのできる「余白」「アソビ」が必要なのだ。これは音楽やほかの芸術にも言えるのではなかろうか。スキのない音楽はそれはそれで修練の成果であり素晴らしいのだろうが、聴いてて俺はすごく疲れる。一部を除いてプログレッシヴが苦手なのもそこらへんに個人的原因がありそうだ。あ、俺の音楽はスキだらけ、アソビだらけです、はい。

自然の中、たとえば、沖縄座間味沖の無人島のビーチに座り、耳を澄ませていると、潮騒、海鳥の鳴き声、アダンの葉擦れの音、遠くの雷鳴、、、すべてが無駄なく完璧なタイミングで奏でられていることに驚く。天然交響曲。芸術はすべからく自然を模倣することから始まるのかもしれん。その視点で現在の音楽シーンを眺めると、まったく逆に合成着色料、化学調味料、その他揮発性有害物質てんこ盛りの、カラダに悪そうなものがズラリ並んでどちらまで?!

夜、喫茶こばやしスタジオでウクレレ弾いているとス〜ッと新曲が降りてくる。北米先住民ホピ族の伝承と、俺が数年前に見たある夢がモチーフ。またしてもレゲエだが、自然風味の発酵食品(笑)だから歌ってて気持ちよろしい。

『Dreamin'』

夢を見た
大きな木を囲んで
楽器を手にした
世界中の民が
歌ってるよ 踊ってるよ
笑いあってるよ
楽しそうだ、、、楽しそうだ、、、
僕も入れてくれないか? Hey!
オヨヨ、オヨヨ、みんな集れ
オヨヨ、オヨヨ、オヨヨヨヨヨヨヨ

夢を見た
争いに傷ついた
肌の色が違う
世界中の民が
美味しい食べ物を
わかちあってるよ
素敵だね、、、素晴らしいね、、、
子供たちもはしゃいで Yeay!
オヨヨ、オヨヨ、こっちへおいで
オヨヨ、オヨヨ、オヨヨヨヨヨヨヨ

Woooー、ずっと待ってる
Woooー、ずっと待ってる
I'm dreamin'

*写真:先々週から一週間ほど、心体育道オーストラリア道場へ廣原先生(後列左から4人目)が指導に行ってこられたのだが、こういう国境を越えた絆が身近に存在するのって素敵だわい。もちろん、向こうの道場生の道着の左袖にも俺がデザインした心体育道オフィシャルロゴマークがキラリ〜ン!先生、写真を無断転載してすんません(笑)。

スマトラタイガー (2005.10.30)

昨夜はオタマとクーが実家に帰っていたため、ひとり我が家で、焼酎のロックを延々とあおりながら最近の由無しごとなど徒然なるままに思い出しつつ、ブツくさ言ってるうちに、悪酔いしましていとおかし。記憶が吹っ飛んだ状態で寝たらしく、今朝起きたら服はそのまんまだし、ひでえ二日酔いでやんの。
昼過ぎになってようやく酒が抜け、意識が戻る。ついでにオタマとクーも戻る。おおっ、今日はスマトラタイガーでライブの日じゃぞおっ!あわてて愛器テイラー「八丁念仏」の弦を張り替えながら、曲構成を練る。よし、今夜は脇差し=ウクレレ・コベイションは使わず、久しぶりに大刀=八丁念仏だけでやってみるか。

っつーことで、夕方6時、流川にリニューアルオープンしたスマトラタイガーへ。広さは薬研掘ジャイブとほぼ同じくらいか。コンクリート打ちっぱなしというより、内装引き剥がしっぱなしといった風情でなかなかカッコイイ。機材も充実してる。PAは誰かいの〜、と思っているところへMr.シロタ君登場。なんじゃいアンタかいな(笑)。

8時半あたり、まずはギター一本弾き語りの橋部君の先発で6曲披露。久しぶりに見る正統派フォーク。
休憩を15分挟んで俺の出番。
「あの空」>「つかのまの天気雨」>「ホライゾン」>「もう一晩おまえと」>「夫婦蛸」>「サティスファイ・マイ・ソウル」
「夫婦蛸」では通常ツンチャンがやってくれている演歌には欠かせぬ楽器ビブラスラップのパートを一人で初挑戦。ピックと持ち替えるタイミングがなかなか難しかったが、けっこうウケました(笑)。
それよりなにより、ここは音がイイ。八丁念仏も吠えまくり、すごく気持ち良くやれた。次回は12月あたり、是非Far East Loungeでやらせてもらいたい。
今日のライブをセッティングしてくれた盟友生駒氏、マスターの高橋K介氏に感謝。広島に、またご機嫌なスポットが誕生。

*写真:共演者の橋部自動車君。実家は五日市にある板金塗装屋さんとか。

生涯未完 (2005.10.29)

来年からの本格的なライブツアー実施に向け、ライブハウスとの金額交渉のコツ、ツアーの心得等に関する御指導御鞭撻を仰ぎたく、京都のわが師、豊田勇造アニキへ手紙をしたためる。こういうのを書くこと自体、ああ、俺って今回はヤル気になっとるんじゃのう、と他人事のように感心。でもこういう無意識自動操縦状態になっているときはいい波に乗れることが多い。
気になっていた某レーベルからも「デモ音源待ってますヨ」とのメールが来たり、同級生Tと、先日彼が発案した某IT関連プランを推進するためのユニットを正式に組むことになったりと、にわかに身辺が泡立ってきた。どれがどんな実を結ぶのが予想つかないけど、ワクワクするです。

夕方道場へ。先生が新しい技を次々と考案。「ビデオとかいっぱい出したけど、無意味じゃったりして」と先生。なるほど、ビデオで紹介した実技の数々は、その時点で最高のものとして誇れるが、心体育道はいつまでもそこにとどまっていない。生涯未完であるがゆえに、常に進化し続けるのでごわす。
サティスファイ・マイ・ソウル (2005.10.28)

信じられんぐらい歌もギターもヘタクソな某シンガーソングライターのTなる人物。しかし、彼の描く世界は切なく自堕落で美しい。最初彼のCDを聴いた時、「許せんっ!なんでこんな野郎が音楽で食って行けるんや!」と怒り心頭に達したものであるが、しばらくして何かの拍子にふと聴きたくなる。で、聴いてみる。やっぱりハラたてて放り投げる。けど時間がたつと、、、という具合に行ったり来たりを繰り返しているうちに彼の良さが少しずつわかってきた。大阪から上京して10年。東京の片隅でしぶとく音楽活動に励む彼の存在は、今では闇にゆらめく燭光のごとく静かに俺を励ましてくれている。

夕方、久保直樹からデンワがあり、仏壇通りの某お好み焼き屋へ。そのあと、Far East Loungeの第4のメンバー、Sax奏者ユリカ嬢の店「キャラバン」へ移動。他のお客さんがいるのもかまわず、8月にこの店の十周年記念パーティでやらかしたFar Eastのライブ映像をガンガンに流してくれる。通常、このような席で自分のパフォーマンスを見ると言うのはかなりの緊張を強いられるものであるが、客観的に楽しめた。なぜなら、思いのほか俺らがカッコ良かったからである(笑)。歌ってる最中はわからなかったが会場の約150人のオーディエンスも大いに沸いている。居合わせたお客さんらも「ほう、こりゃエエね〜!なぬ、左端の席に今座っとる人(俺の事)がこのボーカル?ひゃあっ」などとおっしゃっておられる。うむ、安堵した。これだけ迫力があるのなら出し惜しみはいかん、どんどん人前でやるべきだ。
「おまえの作る歌の一番ええとこは、わかりやすさじゃの」と久保。思えば2001年に久保と20年ぶりに再会しなければ、俺は沖縄にも行ってなかったかもしれん。沖縄で理想的な音楽との関わり方をリアルに感じとったからこそ、俺の音楽は生まれ変わることが出来たのだ。人生、わからんもんである。
サティスファイ・マイ・ソウル、荒ぶるハートに火を灯せ。
夢想家が往く (2005.10.27)

終日執筆。レギュラー原稿、企画書数件をアップ。海のものとも山のものともつかぬ単なる「思いつき」を企画書という体裁にまとめる作業には、相当な開き直りが要求される。しかし、実現したら面白いでホンマ。

夢想ついでにもういっちょう。かつて俺は前にも書いたように、15年前「近いうちに世界的な大食糧難がやってくる。日本経済も破綻し、カネは紙屑と化すであろう」と予測し、国家に頼らない自給自足策のひとつとして狩猟民への回帰を図った。しかし、すでに野山は荒廃し、ただでさえ棲息環境を脅かされているイノシシ、シカ、ヤマドリなどをさらに銃で追い回すことに罪悪感を感じ、10数年後の一昨年、散弾銃も狩猟免許も返上したのである。それで諦めたわけじゃない。最近は「農」ならいけるんではないかと発想を転換しいろいろ勉強中。実際、日本が崩壊した場合(経済破綻による未曾有のインフレ、巨大地震などの自然災害、原子力発電所事故エトセトラ)いくらカネ持っててもなんの役にも立たない。そうなれば「勝ち組」なんぞ存在せずすべてが「負け組」となり路頭に迷うハメとなる。それを回避する唯一の道が、自分の糧は自分で得る、もしくは作り出す、原始的な農であり猟(あるいは漁)ではあるまいか。ソビエト連邦が崩壊した時、餓死者が出なかったのは、国民の多くがダーチャ(住居付き農園)の生活を保持していたからだと言われている。それにかの地では、使い捨て先進国の日本と違い、壊れたら直して使うのが当たり前の習慣があり、個人が高いリペア技術を持っていることも無関係では無かろう。固定観念を捨て去ったうえで、シンプルに考え、適切な行動を起こす。やっぱ最後に信頼出来るのは個々の人間力と、無償で助け合え、分かち合える真に開かれた精神なり。
後悔より航海、、、毒キノコ、、、 (2005.10.26)

「オマエ、ラジオ辞めたんじゃのー。もうまともに聴ける番組がのうなってしもうたで」とばったり会った友人、それも数人から言われた。俺なりにキツイ時間帯で精一杯のことはやったつもりだが、それを評価してくれる彼らのような存在は少数派。人気あるのがイイとか悪いとかじゃなく、受け入れてもらわねば意味が無いのは確かである。今後の俺の課題にしたい。

いくつかのオフィス、個人とメールでやりとり。新規プレゼン数件の用意もする。「後悔しないよう、さっさと航海せよ」と43歳を祝して掲げた俺印スローガンのもと、あれやこれや、面白いと直観で判断したものはどしどしトライする所存である。先日同級生Tから持ち込まれた新規事業のシーズ、調べるほどにかなりイケそう。しかし、全然情報ソースの違うヤツと組むのは刺激的だ。思いもよらぬ方向から攻めてくるからこっちもイメージが広がりまくるぜよ。

首相官邸の庭で毒キノコが見つかったとのニュースで思い出したハナシ。長野県では秋になると多くの住民が食用キノコを求めて山へ分け入るのだが、プロフェッショナルになればなるほど毒キノコかそうでないかの判断基準が実に曖昧なのだそうな。「う〜ん、これはどうだったけなぁ、、、ま、いっか」てな具合にカゴにポイ。おそらく危険度よりも食い気のほうが勝るのであろう。で、自宅に戻ってさっそくキノコ鍋。当然、中には「当たり」が存在する。「おいおい、ちょっと指先がシビれてきたぞ〜」と余裕をかませられるのはいいほうで、嘔吐、呼吸困難、幻聴、幻覚、意識混濁あるいは気絶など、わりとよくあることらしい。それでも喉元過ぎればなんとやらで元気になればキノコ狩りへ出かけるというから、長野県人は逞しいよの。
はっぴばーすでぃ、俺〜 (2005.10.25)

っつーことで43歳か。朝目覚めた時、誰に言うでもなく「ありがとう」と自然に込み上げてきた感謝の気持ちを伝えたく横を向いたら時計が目に入り「やばっ、もうこんな時間!資源ゴミ出さにゃ〜〜」とイッキに現実に引き戻される。
起床後はいつのもようにヨガで体をほぐす。筋肉は強靱かつしなやかで、呼吸も深い。とても40過ぎには思えぬコンディションなれど、数カ所はガタガタ。不摂生によるものではなく、使いまくってのこと。よくもってくれたと思うし、これからもしばらくは気持ち良く闘えそうだ。

夏に植えたモリンガで順調に育っていたのが8鉢。ところが何週間か前から、葉が縮む病気が大発生し、次々とダウン。とうとう瀕死の一本だけとなってしまった。夕方、コイツを大きな鉢に植え替えてやったら心無しか元気を取り戻した気配。なんとか頑張って、冬を乗り越えてくれよ。

そのあと家族でフジへ行き、オタマに誕生日プレゼントとしてリーバイス505ブラックを買ってもらう。ウエストは30インチ。これも17才からまったく変わっていない。

*写真:今日初めてクーがハーモニカを吹けるようになった。

バックギャモン続報 (2005.10.24)

目覚めると、咽と節々の痛み。クーのウイルスにやられたかも。一方彼は朝からパワー全開。本棚から俺の辞書を引っぱりだし気持ち良く引き裂いてくれましたとさ(泣)。
しんどいからと寝たところで誰からも叱られないのがフリーランスのいいところ、なのだろうが、働かなければこれまた誰も助けてくれまへん。朦朧状態のまま終日執筆。

心体育道に最近入門したO氏からデンワがあり、なんと俺にバックギャモンを進呈するとおっしゃる。先日俺の日報(10/17)を読んで長らく使用していないヤツが家にあるのを思い出したとか。マグネット式になっているということは、列車内など旅での使用を目的にしたものであろうから期待が持てるなぁ。

夕方、ダルイ体を引きずるようにしてK楽器店へ行き、ここで買った某メーカーのMTRがすこぶる調子悪いのでもっとシンプルで故障の無いタイプに交換してくれ〜とO店長に詰め寄る。「そりゃエエけど、メーカーが変わるとまた操作を最初から覚えんといけんようになるよ。今のを修理した方が絶対トク」とO店長。なるほど、そういうものかもしれん。じゃ、直してもらうことにするです。
庄原ドライブ (2005.10.23)

かなりご無沙汰していた、庄原のカフェレストラン兼ライブハウス「すけあくろう」へ、オタマとクーも連れて行く。片道100km。独身時代からバイクやクルマで何十回通ったことだろう。備北広域農道に入ってからのロケーションは「ここ、日本?」というぐらいひたすらデカイ。女体っぽく官能的なラインで延々うねる丘陵と広く澄んだ空が織りなすコントラストを眺めながらのドライブは、卑小な悩みなど綺麗さっぱり笑い飛ばしてくれる。

さて、すけあくろうのマスター多賀大兄も、変わらぬビッグな笑顔で迎えてくれた。なんだかねぇ、歳を重ねる毎に失うものも多々あるのかもしれんが、熟成され、馨しく香り立つものもあるのだよ。若い頃に戻りたいとは思わない。常に「今」がサイコー。おっと、ここのメニューはなんでも絶品。庄原市街へ抜ける県道61号線の峠を登りきったあたりの右側にありますので、近くを通った際はぜひ。月曜定休です。

寒い、、MTR不調、、心体育道はイタイどー、、 (2005.10.22)

昨日まで半袖でウロウロしてたのに、今日のこのイキナリの冷え込みはなんなのだ?!それともこれが平年並の寒さなのであろうか?県北の吾妻山では初雪が降ったとの未確認情報も飛び込んできた。どうでもええけどヘーックショイ!あ、もひとつおまけにヘーックショイ!

半年程前、古いのを下取りに出して新しく購入した某メーカーのデジタルマルチトラッカーがすこぶる調子が悪い。機能だけはやたらいっぱい付いているくせに、使っている最中勝手に「店じまい」したりするヤル気の無さ。頭に来たのでこれを買ったK楽器店に突き返して、もっとシンプルな4ch程度でちょこざいなドラムマシンなんかも付いていない小型軽量タイプに変更してもらうことを決意。

夕方、道場へ。先生はオーストラリア道場へ出張中につき、兄弟子の山本さんの指導。夏の間、覚えられなかった護身の24動を再度教えてもらう。先々週の稽古でもメモしまくったのだが、悲しいかな、あまりにも慌てて書きなぐったためあとでほとんど判読出来ず(笑)。やっぱり一度には無理。少しずつでも確実にマスターしたい。それにしてもこの護身動作、動きは優雅ながらキメられる方は物凄〜く痛い!体力や運動神経のない女性や高齢者でもマスターできるのも特筆すべきポイント。なんつーても立ったままでの関節技&投げ技じゃもんのー。合気道みたいに難しいことしなくても面白いように相手が吹っ飛びよる。こんなの他の武道や格闘技にゃなかろうて。ケケケ!
ひと粒の種、、、ネーミングのココロ、、、 (2005.10.21)

高校時代の同級生Tからデンワがあり、近所の某ファミレスにて落ち合う。彼はもともとデザイナーで、じきに多数のスタッフを抱えるデザイン事務所の社長となり、その後どういういきさつか詳しくは知らないが社長を辞し、今は不動産会社の一社員。そんな、クリエイティブ業から離れたはずの彼が「ちょっと面白い企画を思いついた」ということであったが、なるほど、彼が発案したシーズはなかなか魅力的なポテンシャルを秘めているように感じた。アイデアというものはどこでどう化けるかわかったもんじゃない。ひと粒の種が、やがてたくさんの葉を繁らせる大樹に成長することだってある。長くギョーカイに身をおいたものであればそれを肌で知っている。だから、気がはやるのだ。
それにしても会った瞬間、俺らの口からほぼ同時に出た言葉が
「フツーの仕事にゃ、もう飽きたのう」
だったのには笑ったぜ。
どうせなら面白い、心ときめく人生を自ら拓こうではないか。

夜、メシ食いながら「さんま&星野本日限り史上最強TVショップ(株)明石家ジャパン」なる実にくだらない番組を見るでもなく見ていると、ラストあたりで紹介された商品を目にして、あやうく噴き出すところであった。なんと、俺がかれこれ10年前、商品開発アドバイザーとネーミングを担当した大和重工製アウトドア用五右衛門風呂「湯牧民(ゆうぼくみん)」が出品されているではないか(下の写真)。今もちゃんと売られていることに感涙(笑)。しかもこうして全国ネットで取り上げられていることが正直嬉しゅうございました。コピーライター歴、早15年。これまで数々の商品ネーミングをやらせてもらったが、今残っているのはこの湯牧民とその姉妹品であるアウトドア用かまど「かまどん」、水に解ける紙「トケマス紙」、緑井の高層マンション「スカイステージ」、静電気を防止するカード「エレカット」、高級さきいか「ぞっこんイカ」ぐらいか。あとは思い出せん。とにかく100アイテムぐらいはやったのう。
ネーミングといえば、俺の音楽カテゴリーを表現するワードをようやっと思いついた。
サーフ&トラベリンソング。
しばらくはこれでいく。

北欧の夕陽 (2005.10.20)

昼過ぎ、近くのコンビニでKデザイナー、クライアントの某食品メーカー専務氏と打ち合わせ。次の用事のある専務氏が帰ったあとも、Kデザイナーと四方山話に華を咲かせる。
「どっか旅に出たいねぇ」
「うん、俺も。でも、どこ行きたい?」
「そうねぇ、ボクぁ、スカンジナビア」
「す、スカンジナビア?!」
彼が言うには、かの地でフィヨルドの荒波打ち寄せる絶壁に立ち、夕陽を眺めてみたいのだとか。旅の目的としてはあまりにもメルヘンチックであるが、お堅い仕事もきっちり大量にこなしながら、どこか非日常的というか、荒唐無稽な方向へも常にアンテナを広げている彼はたいしたものである。しかも彼の性格ならそれを実現させるであろう。俺はまだまだスケールがちっちぇのう。

*写真:オタマが時々うまそうなチョコレートを食っている。で、彼女が外出中、俺も食ってみようと冷蔵庫の中やらあちこち探すのだが見つからない。しばらくすると、またオタマ、どっから引っ張り出したのか、ムシャムシャやってる。こういうことが数回続き、たまらず「それいつもどこに隠しとるん?」と聞いてみたところ
「え、わかると思うたんじゃけど」と指差したのがスピーカーの上に乗ったこのカボチャである。この中にチョコレートが入っているのを見抜けるヤツなんざいねぇっつーの!

潮風のメロディ (2005.10.19)

またまた新曲が降りてきた。しかも3曲いっぺんに。例によってそれぞれの詞、メロディに互換性はまるでなく、ついでにいえば「作ろう」という意識も皆無。

ところで、あちこちに俺のデモ音源とミュージシャンプロフィールを早急に送らねばならなくなった。困るのはプロフィールで俺の音楽スタイルを文章でどう簡潔に表現するかだ。

考え倦ねていると、ある御仁に「春駒サンの作る曲って、サーフソングが多いですよね」と言われたのを思い出した。最近のサーフソングシンガーで有名なヤツラといえばミシカとかジャック・ジョンソン、日本人ならケイソンあたりか。俺は彼らのようにバリバリのサーファーではないが、ヘナヘナのシーカヤッカーではある。東シナ海や大平洋でコンパスと海図だけを頼りに何日も航行し、無人島で風に吹かれ、月や星を眺め、潮騒に包まれて微睡んだ経験が、深層海流のごとく俺の中に脈々と息づき、無意識であるとしてもイマジネーションを沸き上がらせるスターターになっているのだとしたら、サーフソングシンガーを標榜するのもやぶさかではないかもしれん。

*UMIKAJI〜海風〜
*星の波間に
*月の下ジントヨー
*テビチ記念日
*ヨーデル潮干狩り
*ハナレイムーン
*ぴぴららOne Love
*サティスファイ・マイ・ソウル
*真夏の出来心(ハワイアンバージョン/未発表曲)

とまぁ、現オリジナルレパートリーの多くは、それらの行為が醸し出したサーフソングと言えそうだ。カッコイイか悪いかは別として(笑)。
クーの風邪、、、秘剣はいずこ?、、、 (2005.10.18)

昨日の夕方あたりからクーが咳き込み始め、夜になって2度嘔吐。熱はなかったが心配でたまらずヤツが「ケホッ」と小さく咳き込んだだけで夜中何度も目覚めてしまう俺。結局、ほとんど眠れないまま朝を迎えることに。
病院へ連れて行ったところ「風邪の初期症状」とのこと。これまでほとんど病気してないから、ちょっとでも調子悪いと必要以上に気になるものだ。

K楽器店へ、注文していたテイラーのエンドピンスペア(6本セット)を取りに行く。最近こちらのO店長、俺の注文をちゃんとメモしてくれるので「あれ?なんか注文しとったかいね?」というアルツ系のトラブルは無事解消出来ましたとさ。
その帰り、本通界隈の本屋巡り。山口貴由の劇画(というより激画)「シグルイ」の原作である南條範夫「駿河城御前試合」が、シグルイ人気に後押しされるかたちで徳間文庫より復刻されたばかり。早速探し出し、しばし立ち読みする。

そもそも「駿河城御前試合」とはなんなのか。説明しよう(ヤッターマン風に)。
寛永6年9月24日、駿河城内において城主徳川大納言忠長の命により、面前で行われた11組の真剣試合のことをいう。出場者は名うての剣豪ばかりだったものだから、当然死亡率は高くなる。事実、対戦者22名のうち14名が即死(敗北か相打ち)。生き残った者はわずか4名という空前絶後の残酷凄惨な決闘劇であるが、これが城主忠長の単なる個人的な「愉しみ」として催されたものだから、大国の領主にあるまじき乱行ととがめられ、その4年後、将軍徳川家光の実弟でありながら切腹を命じられることになる。つまり「小説・駿河城御前試合」とは本当にあったおぞましい事件を記録した写本「駿河大納言秘記」をもとに、剣豪小説の重鎮、南條範夫が試合の順を追って脚色上梓したものなのだ。
で、「シグルイ」はこの小説の第一試合「無明逆流れ」をベースに、美貌の盲目天才剣士 伊良子清玄と、宿命のライバルである努力型片腕剣士 藤木源之助の息詰まる死に物狂い=死狂いの攻防を描いた劇画というわけ。シグルイは現在も月刊チャンピオンレッドに連載中で、コミックス最新第5巻が来月リリース予定。さぞかし、原作の方も手に汗握る展開、、、と思いきや、立ち読み段階で見る見る熱が引いていっちゃしました。ページ数にしてわずか三十数ページ。メインとなるキャスティングもほぼ同じだが、ストーリー自体、南條さんには申し訳ないけど、そこらへんの凡百の剣豪小説と大差無し。
いや、これは南條さんを責めるより、山口貴由を褒めるべきだろう。よくもこんなサイコーにスリリングで血なまぐさい人間ドラマに膨らませまくったものだ。とすると、劇画のほうで出てきた、「秘剣流れ星」を可能にする独特の剣の掴み方とは(読者諸兄、マニアックなハナシですまぬ)漫画家山口さんちの創作であったのか? だとしたらますます大変なことだ。なにせ、影響されやすい俺は、木刀でその掴みを日夜練習していたのだからな!(爆笑) これって、「ドラゴンボール」や「北斗の拳」に出てくる荒唐無稽な必殺技を真に受けて練習すんのといっしょじゃん。ひでぶっ!!
二日酔い、、業務日誌、、バックギャモン、、 (2005.10.17)

久しぶり、二日酔いと闘いつつ執筆。昨夜の(っつーか、昼から始まったのだが)心体育道宴会で後半、兄弟子S氏がヤカンで豪快に注いで廻っていた「ひれ酒」が効いたようだ(下の写真参照。俺のどんよりした目、尋常ではない。左端が先生:撮影byミッチャン)。途中、何度か記憶が飛んどるが、ヤケに楽しかったのは確か。特に先生の妹、K嬢から聞いた青春ヤンチャ時代の話はサイコーに笑えた。人は見かけによらんもんである。

本日から、再び業務日誌をつけることにする。俺の仕事は多種多様。なのにここ最近、自分が何の仕事をしたか「記憶」に頼っていたおかげで請求漏れが発生。閃いたアイデアもチラシの裏やらそこらへんの紙にテキトーになぐり書きしてるもんだから、結局ほとんどがミッシング。毎日日誌にまとめておくよう心掛けるべし。

パチンコ、麻雀、花札はおろか、将棋や碁まで興味のない俺。トランプでも知ってるのはババ抜きのみ。そんな俺が唯一やってみたいと興味をつのらせているのがバックギャモンである。欧米の小説には主人公がこれをやるシーンがよく出て来る。それは旅先のログキャビンだったり客船のデッキだったりと、バックギャモンのフットワークの軽さが嗅ぎとれる。放浪旅のスペシャリスト、ロバート・ハリス氏も「バックギャモンはゲームの王様」となにかのエッセイで書いていた。玩具店の近くを通ったときは覗いてみるのだが、置いてあるのを見たことないから日本ではマイナーなんだろうね。ネットで調べると、ちゃんとあるじゃんよ。教則本も一冊だけ出ていた。どっちみち一人じゃ出来ないのでオタマに相談して決めましょう(笑)。

諸君、心体育道は楽しいぞっ!(カープ野村風に) (2005.10.16)

昼過ぎ、宇品の先生宅へ。毎年秋に開催されている神田神社心体育道奉納演武会の打ち上げである。残念ながら所用のため今年は演武会には参加出来ず。出ていたら、連続出場記録8年を更新するところであった。
毎度の事ながらこのような宴会には道場生以外の参加も多数。しかも本日はアメリカ人、ペルー人、ロシア人と国際色豊か。っつーことで、先生は現在ロシア語を勉強中とか。英語やスペイン語はすでにペラペラ。俺もなんかやってみようかね。

時空のズレ (2005.10.15)

7日にDUCKでやらかしたソロライブ。いつものようにMDでラフ録音したのだが、多少ノイズが入っていたりミスったりしているものの、全体的にかなり出来がよろしい。CDRに何曲かダビングしてプロモーション用に使うことを思いつく。スタジオレコーディングでもこのリアルな熱が込められないものだろうか。

福岡久留米より、従兄弟夫婦がやってくる。25才になる次女の結婚が決まったとのこと。ついこの前までコドモだった気がするのに、時間の流れはコワイですのー。

コワイ、で思い出したことひとつ。数日前の朝、目覚めた瞬間に何年かぶりか「時の空洞」に引きずり込まれそうになった。以前の日報のどこかで書いたかも知れない。まどろみの無意識が偶然察知する時空のズレ、歪み。「今」から引き剥がされそうになり、必死に意識を奮い立たせてなんとか踏み止まる。そのままイッてしまったらどうなるのだろう。確かめる勇気はまだない。
15年 (2005.10.14)

昼過ぎに降り出した雨が、ますます強くなる。

俺の音楽の師匠、豊田勇造さんの新しい本「歌旅日記アジア編」を読む。「アジア編」ではあるが、日本の事はほとんどなく、タイ、インド、中国、カンボジアを歌いながら旅したセルフレポート。ちなみに前回の「歌旅日記」は81年にリリースされ、主に当時行ったジャマイカレコーディングのスリリングなエピソードが綴られていて(なにせボブ・マーリィにも会ってるんだぜ)、今でも俺の愛読書である。
俺は「タイのボブ・ディラン」と呼ばれたカラワンはじめ今まで聴いた、かの地のミュージシャンに対してはさほどの魅力を感じなかった(やっぱコトバがわからんとダメな場合がある)せいか、読み始めは「ふーん」というカンジ。一度でもタイへ行けば、また受け止め方が違ってくるのかも。一年前、バックパッキングでタイの沿岸部を10日間ほど旅した久保直樹もメチャ惚れ込んでいたことだし。
そんなことを考えながらも読みすすむうち、どんどん引き込まれる。師匠の感性は相変わらずビビッド。現地の文化や経済的背景、ミュージシャンたちとの交流を通して、浮かび上がってきた日本の姿にも考えさせられること多し。こういう社会的な視点を持ったシンガーソングライターが、日本にはあまりにも少なすぎる。

夕方、Kデザイナー、映像カメラマンのY沢君と、流川の居酒屋「お花」にて新規事業のミーティング。すぐにでも売り込み出来そうな案が浮上。

ほど良く酔いが回ったところで、二人と別れ、そこから徒歩1分の「K's SHOT」へ。第二金曜日はライブデイで、ラッキーなことに本日の出演はマギー、美由記&ツッチー。美由記ちゃんは俺の剛腕屈折ロックバンド「SOUTHSIDE AVENUE BAND」の元メンバーで、会うのは約15年ぶり。ほとんど変わっとらん。連れてきていたふたりのお子チャマ(カレン&慎仁)とも初対面。当然ハーフで、インターナショナルスクールに通っているということであるが、広島弁(笑)、英語どちらも完璧。慎仁クンは鼻や口元、手脚の長いところとかもカーチャンにソックリ。カレンチャンも小学5年生ながらモデルでもやれそうなくらいゴージャスで整った顔だち。

予定よりちょっと遅れて、まずはマギーから。シェリル・クロウのカバーをメインにしたギター一本弾き語りスタイルは希少な存在で非常にカッコよろし。声も好き。
続いて美由記&ツッチー。美由記ちゃん、前から上手かったが、結婚して二人の子供のお母さんになってなんつーか、声に従来の明るさに加え、包容力、慈愛みたいなもんが出てきた。バンド形式よりこういうじっくり聴かせるアコースティックデュオの方が、彼女の持ち味を発揮出来るように思う。すごくよかったス。
ツッチーもツボを心得たギター&コーラスで絶妙な風景を紡ぎ出す。こりゃ楽しみなユニットが誕生したもんである。15年。それぞれの人生があり、それぞれの音楽があったのだね。

あ、ツッチー、たまには道場に顔出すように笑)。
葬儀改革法案 (2005.10.13)

実家の近所にある平安祭典広島南会館にて、祖母、小林聿枝の葬儀。老衰による大往生ということで、参列者にも湿っぽさはほとんどない。
火葬を終えたあと、再び親族だけで平安祭典の休憩室に集まり、しばし談笑。話題は、平均260万円と言われる「葬儀の値段」。最近になってようやっと、葬式にカネがかかり過ぎることに皆が気付き始めている。まずは戒名。真言宗や浄土真宗の場合、相場では6文字で5〜20万円、10文字になると100〜500万円もする。アホらしいったらありゃしない。あれは坊さんに頼まなくても自分でテキトーに作っても全然問題ないのだ。たとえば俺なら「能天気屈折彷徨大居士(のうてんきくっせつさまよいたいし)はどうだろう?R・ストーンズが好きなら「岩転騒音院殿」なんつーのもカッコイイぞ。
経を読ませる坊さんにも、容赦なく改革のメスを入れたい。親戚のハナシでは、お心づけ料が少ないと言って怒った坊さんもおるらしいが、そういうバチあたりな生臭坊主にはどんどん帰ってもらい、真に良心的で誠意のある坊さんをこちらから指定するのだ。
それから、勘違いしている人が多いのだが、西本願寺派の浄土真宗の場合、葬儀であげるお経はそもそも死者に対してのものではない。参列者が仏門へ帰依するためにあげてもらうセレモニーにほかならない。だから手厚く弔ってもらおうと気張って高いお経をお願いすることもない。坊さんも「ソロ」で充分(今日の葬儀ではデュオであった)。
その他、通夜飲食接待費、花代、お車代、BGM代あれやこれやのオプションで、雪だるま式に料金が加算されていくから、要注意。葬儀屋との打ち合わせで「通常でしたらこのプランぐらいのことは皆さんされますよ」などと言われたらついその気になってしまうが、ヨソはヨソ、ウチはウチ、と突っぱねるべし。要は弔う心の問題なのだ。

本日、喪主をつとめたオヤジも緊張から解放されたのか、徐々にトークが加速。おひらきの挨拶で「皆さん、ワシゃ次回の国会議員に立候補するけぇ、そのとき選挙事務所でお会いしましょう」と吠えれば、大叔父の三郎サン(この人は90才でありながらケイタイを使い、先頃はしまなみ海道をチャリンコで往復したスーパージジイ)は、「コラなにを言うんなら!まずは市会議員からがスジいうもんじゃろうが」と、意味不明の応戦。この調子なら、みんな相当長生きしそうである。

いとおかし (2005.10.12)

昼前、K歯科医院へ。今日はこれまで治療した歯の総メンテナンス。と、歯科衛生士の女性が右上奥歯周辺を軽く突ついた時であった。ポロッと、ナニかが抜け落ち、舌の端に乗ったではないか。このヒンヤリした感触は、、、間違いなく以前詰めたブツである。そうなのだ、またしても前に通っていた近所の某歯科で処置した歯。これで夏から計3本抜けたことになる。ハラがたつのを通り越して、悲しみが込み上げてくる。

秋は夕暮。
夕日の差して、
山の端いと近うなりたるに、
以前詰めたる歯が舌の上に落ちるとて
三つ四つ、二つ三つなど
落ち急ぐさへ、あはれなり。
落ちた歯の列ねたるが、
いと小さく見ゆるは、
いとおかし。

親愛なる読者諸兄、俺のように歯で泣きを見るのがいやなら、信頼のおける中区幟町のK歯科こと川原医院を自信を持ってお薦めしますぜ。ここはホント、丁寧で上手い(ナント、彼の診療を受けたくて北海道から飛行機で通院していた御仁もいらっしゃるげな)。しかも俺の親戚。っつーことで、今日、院長であるマサテル氏と最初に交わした言葉が、今夜催されるバアチャンの通夜の時間確認であったとさ。
明治女、逝く (2005.10.11)

生活環境の改善整理プロジェクトが大方フィニッシュしたので、本日より通常執筆業務再開。
朝のうちは涼しかったのに、昼前から暑くなり座っているだけでTシャツが汗ばんでくる。この時期にこの陽気、やはりフツーじゃない。

昼過ぎ、オフクロからデンワがあり、父方のバアチャンが逝ったことを知らされる。享年98歳。6月に白寿のお祝を親戚一同で催した時は元気そうで、こりゃまだまだ大丈夫じゃ100歳オーバー間違い無しと誰もが思っていた。数日前から体調を崩して食事がとれなくなり、血管が細いため点滴も打てない状態が続いていた。そして昼過ぎ、フッと息を引き取ったという。
十何年か前、妹の神前結婚式で俺の隣にちょこんと腰掛けていたバアチャンは、神官の「それでは〜皆様〜御起立くださいませ〜」「お座りくださいませ〜」「御起立くださいませ〜」の波状攻撃に「はいはい立ちます、はいはい座ります」といちいち返答。最後のほうでは「ううっ、カズくん、オバアチャンは足が痛うなってきたよ」とこれまた周囲に聞こえるようにグチをこぼしたりして、俺は笑いを堪えるのに必死だったことを思い出す。そうそう、この日は母方のバアチャン(初代春駒)も着物の帯を締め過ぎて披露宴の最中に気分が悪くなり、皆に担いで運ばれるというハプニングもあったなぁ。つくづく逆噴射系メイクアドラマの親族である。バアチャン、今までありがとう。最後まで明治女の凛とした気高さとしたたかさを失わない、お茶目な女性であった。安らかに。

秋の家族ドライブ (2005.10.10)

天気がいいので、俺の提案で家族ドライブに出発。行き先は川尻町の野呂山(正式名称は「膳棚山」。標高839m)。小学校時代は遠足で数回登った記憶があるが、それ以来。展望ロッジや氷池の周辺など、なんとなく記憶があるくらい。というか、もっと広かった気がする。さすがこの高さになるとTシャツではもう寒い。池のほとりで弁当を食い、周辺を散策。中高年のハイカーがやたら目立つ。ロッジのオバチャンからもらったガイドブックによるとJR安登駅から徒歩で片道2時間ちょいで登れるらしい。最近は青少年の体力が全国的に大きく低下しているというのに、中高年層は増々パワフルになりつつあるのだ。おっと俺も年齢的にはリッパな中年よの。今度歩いて登ってみようかね。

ところで、家族に対する今日のような行いを、世間一般では「家族サービス」などと称するようだが、俺には「サービスをする」という意識は皆無。したいからやってるだけ。だいたい家族や友人の間で、義務付けて奉仕やらなにかをするなんて取り引きみたいで気持ち悪いじゃん。見返りなど求めてないっつーの。「〜ねばならない」「〜であるべき」そんなものは銀河系の果ての果てまで追いやってしまいなさーい。

千田わっしょい (2005.10.09)

昼過ぎ、千田町広大跡地「千田わっしょい祭」へ。Far East Loungeの出番は2時あたりと聞いていたのでちょっと早めの1時入り。ちょうどヨシダヨシコが歌ってるところだった。おっ、ツンチャンやチューピー梶山もバックで演奏しているではないか。晴れ渡った秋空の下、客ものんびり耳を傾けている。
30分後、演奏が終わったので、ツンチャンに「次は誰ですかいね?」と聞いてみたらFar Eastだと言う。
「どのくらい持ち時間があるんスか?」
「1時間でも2時間でも好きなだけ」
どうやらセットリストを考えているヒマはなさそうだ。あわててギターとウクレレのチューニングをしてステージに立ち、思いつくままに演奏スタート。今日のコスチュームは先週のマリーナホップでの反省を踏まえ、ライムグリーンのTシャツ、赤のリーバイス501、シューズもライムグリーン×ブラックのアディダス・ウォーターモカシンというケバい南米産猛毒昆虫ファッション。その甲斐あってか、ナンダナンダという感じで通行人が足を止め、近寄ってくると思いきや、遠巻きに見てるだけ。刺したりしませんから〜。

本日のセットリスト:
「3羽の小鳥」>「テビチ記念日」>「星の波間に(梶山ボーカル)」>「ハナレイムーン」>「ヨーデル潮干狩り」>「その男ヨシオ」>「梶山ソロ」>「夫婦蛸」>「ニューオーリンズ・オン・マイ・マインド」>「サティスファイ・マイ・ソウル」

このような市民手づくり老若男女外国人入り乱れてのイベントステージにおいては、バーリトゥードユニットFar Eastの独壇場、右にも左にも出るものはないであろう。曲が進むにつれ、しかめっ面をしていた人もみるみる顔がほころんでくる。爆笑してらっしゃる人も多し。特に今日は「ヨーデル潮干狩り」がウケた。難しい歌などひとつもない。コード進行だって単純そのもの。穏やかで気持ちのよい空間、気さくな連中、そしてゴキゲンな音楽。俺らがその風景の一部であることにこのうえないハピネスを感じたひととき。ハァ〜、わっしょいわっしょい!

ライブを終えてボサ〜ッと突っ立っていると、「ウチの母、潮干狩りが大好きなんです。さっきの歌(ヨーデル潮干狩り)、聞かせてあげたい!」と言ってくる女性あり。なんでも、彼女の母親、宮島の大鳥居の下で貝掘りしてたら観光協会かなにかの役人に「景観をそこなうからやめなさい」と叱られたらしい。そんなケツの穴の小さいこと言ってるから宮島は観光客が減るのである。世界遺産で潮干狩り。これこそ世界に冠たる抜群にブラボーな景観ではないか。

夕方、観音の某結婚式場へ、ブライダル演奏の仕事を終えたオタマを迎えに行く。今回、この仕事をオファーしてくれた椎名女史とも初めてお会い出来た。なるほど、梶山がフガフガ言うだけあって、聖母のような聡明さをたたえたかなりの美人であられます。おかげで俺もキンチョーしちゃいましたとさ。

*写真:千田わっしょい祭のフリマで一番賑わっていたテントは、ほとんど100均ショップのようにバラエティに富んだ品揃え。その他の店も素人臭さがまるでない。フリマも常に進化しているのだね。

ビブスラ購入 (2005.10.08)

頼んでいたビブラ・スラップが入荷したと連絡が入ったので、昼過ぎ、キサダ楽器店へ取りに行く。これは演歌にはかかせない楽器(『与作』でも使われている「カァァァァァァッ〜」と鳴るアレです)だが、なんで必要かって?もちろん「夫婦蛸」に決まっとるでしょうに。Far East Loungeでやるときはすでに名手ツンチャンが見事なビブスラ捌きを披露してくれていて、ウム、こりゃソロでも是非使いてぇな、と。ギター弾きながらどうやって鳴らすかだが、これも秘策を思いついた。っつーか、場合によっちゃあ客に叩いてもらっても楽しいだろう。

夜は道場へ。体調不良のため、見学させてもらう。俺の知らない護身動作が加わっていて大いに焦り、必死にメモる。夏のあいだ、ほとんど道場稽古に参加出来なかったのが災いした。常に進化し続けるのが心体育道。ちょっとかじったぐらいで武道家をきどってはイカンのだ。

*写真:昼過ぎ、オタマはクレド前の特設ステージでデモ演奏。大型マルチビジョンにも映し出されて迫力満点。他にもYAMAHA音楽教室講師らが多数出演。

曇天に咲く紅い花 (2005.10.07)

夕方、デザイナーK氏と近くのファミレスで新しい事業展開についてミーティング。ついでに、武蔵野美大時代、彼の先輩であったリリー・フランキー氏のことをいろいろ聞く。リリー氏とは軽音楽部で知り合い、家にも何度か遊びに行ったことがあるそうな。ちなみに「リリー・フランキー」とは彼のバンド名らしい。不思議なことに俺が興味を抱いた人間は必ずどっかで繋がっている。ニッポン、やっぱり狭いのう。

夜は富士見町スタジオDUCKで三代目春駒小林一彦ソロライブその4。前回とはうってかわり、信じられんほど客が少なかったが、こういう日もある。なにより来てくれた人に最大級の感謝。

本日のセットリスト
1部:
「あの空」>「春は流れて」>「ホライゾン」>「3羽の小鳥」>「星の波間に」>「月の下ジントヨー」>「その男ヨシオ」>「夫婦蛸」>「もう一晩おまえと」

2部:
「つかのまの天気雨」>「うすずみ色の空へため息」>「ハナレイムーン」>「テビチ記念日」>「ヨーデル潮干狩り」>「ニューオーリンズ・オン・マイ・マインド(新曲)」>「サティスファイ・マイ・ソウル」

アンコール:
「君は風」>「走れアルマジロ」

後半2曲、ご近所ドラマーのクラサワ君にボンゴで入ってもらった。今日は意識して全体的にすごく丁寧に歌ってみたところ、何曲か今年のベストテイクとなる。特に「春は流れて」「ホライゾン」は新境地。ミュージシャンはどんなに練習を重ねても、結局はライブでしか進化出来ない。間を空けず精進せよ。

*写真:小さな鉢植えでありながら今年20回以上も花を咲かせてくれているユミチャン印のハイビスカス。晴れていても今日のように曇天であっても、真紅の艶やかさはかわらない。俺の歌もこのようにありたい。

ケイタイ機種変 (2005.10.06)

午前中、土橋町のとあるビルの地下駐車場にて、友人N氏から紹介されたケイタイ屋さんと落ち合う。ただでさえ怪しい男が3人。クルマのフロントを下敷きがわりになにやら書類に記入(ケイタイ機種変更申込書)したりしている光景は、ブッソウなブツを取り引きしているように見えたことだろう。
数時間後、手続きとデータ移入の終わったケイタイを、わざわざN氏が我が宅まで持ってきてくれた。FOMAのP700i。やや古いタイプということでタダで機種変出来たのだが、それでもやっぱり機能が多過ぎる。前のより6ミリ薄くてバッテリーが長持ちなのはありがたいが、テレビ電話ねぇ。他に持ってるヤツは久保直樹ぐらいだし。どなたか俺とメル友ならぬ「テレビ電話友達=テレ友」になってあげてもいいという女性、連絡ください(笑)。

夜、喫茶こばやしスタジオで明日のライブの最終リハ。途中、ここから徒歩40秒の老舗マンションに住むご近所ドラマーのクラサワ君がボンゴを持って乱入。なかなかイイなごみ系セッションだったので、明日は2曲飛び入りで叩いてもらうことにする。10時前にお開きにし、前の駐車場でダベっているとこれまたご近所の土建屋社長氏がほろ酔い千鳥足状態で通りかかる。
「あっ」
「おっ」
「おおっ〜」
3人とも顔見知りなものだから、ここでまたトークセッションが始まる(笑)。このノリ、ジャマイカ並。

家に戻ると、早速久保からテレビ電話。こちらも俺、クー、オタマと入れ代わり立ち代わりテレビ電話を初体験。けっこう楽しかったりして。

*写真:ライブの選曲や構成はともかく、コスチュームだけはこのようにイラストにして綿密にシミュレーションするお洒落な俺。しかしこれまた直前で変更するのが常である。意味無し!

極秘プロジェクト (2005.10.05)

生活環境改善ウィークもそろそろ終盤。忙しさを口実に保留しっ放しだった、あちらやこちらが整理整頓され、空間も広く感じ、、、ない。やっぱ狭いもんは狭いっす。

平行して極秘プロジェクト進行中。極秘だからしてまだここには書きませぬ、ああ、書きませぬ。
アナタのは時代遅れです?! (2005.10.04)

数回メールしただけで、もしくは通話しただけでみるみるバッテリーがエンプティとなる、ガタイがでかいくせに(人によく「それ手榴弾?」「印篭みたい」とか言われます)超虚弱体質の俺のケイタイ君。購入から3年経ったことだし、遂に機種変更を決意した。ケイタイを取り扱っている知人がFOMAの某機種ならタダで提供出来るというので、おことばに甘えさせてもらうです。しかし、今使っているmovaだって全機能の1割も利用していない。FOMAなど過剰スペックではないのか?持ってるヤツだって少ないし、誰とテレビ電話を楽しむというのでせう(笑)。

思い起こせば14年前、俺が最初の広告デザインオフィスに入社したての頃は、ケイタイはエグゼクティブの証であった。しかもバッテリー込みで弁当箱くらいの大きさでございました。それを当時のオフィス社長氏は用もないのにバッグからしょっちゅう取り出して見せびらかしよったな(笑)。たかだか十年ちょいで博物館入りしなければならないほどテクノロジーは進化しているように見える。が、その裏にはモノを売る側の「飽きさせる、時代遅れにさせる、捨てさせる」理論による巧妙な操作が大きく介在していることも忘れてはならない。

金曜日ライブのセットリストほぼ決定。新曲や新アレンジ、14才の時に作った曲のリメイクなど、けっこう楽しんでもらえそうな気配濃厚。みんな来てね。
New Orleans on my mind (2005.10.03)

通常月曜日に片付けるレギュラーの仕事がクライアントの都合で一週休みとなったため、裏のベランダの模様替えを敢行。ゴミ置きボックスを隅にまとめ、空いたスペースに人工芝を敷き、さらにその上を45×45cmのウレタン製アスレチックマット(8枚1400円で購入)で覆うと、狭いながらもクーのおゆうぎ場の出来上り。

昨日のニューオーリンズ災害支援コンサートには間に合わなかったが、音楽仲間(特に支援コンサートの主催者である高校先輩S氏)から熱烈オファーを受けていたニューオーリンズの歌、題して「New Orleans on my mind」完成。今週金曜DUCKライブで発表予定。

『New Orleans on my mind』

テレビがなくても 生きてゆけるさ
パソコンなくても 生きてゆけるさ
でも音楽が なけりゃ この世はオシマイさ

聞かせてよ とびきりの
心熱くする あのメロディ

 Sing a song
 今こそ 思い届けよう
 Play the music
 世界中が 待っているから
 そしてボクたちも

核兵器 ないほうが うまくやれるさ
政治家 いないほうが うまくやれるかも
でも音楽が なけりゃ この世はダメになる

聞かせてよ とびきりの
心熱くする ハッピーなメロディ

 Sing a song
 今こそ 思い届けよう
 Play the music
 世界中が 待っているから
 そしてボクたちも
 
 New Orleans on my mind(×4time)
チャリティコンサート (2005.10.02)

朝起きると、熱は下がっていた(号泣したせいか?)。咽も異常なし。最近風邪をよくひくけど、一晩できれいに治る。体の自浄作用のひとつとしての風邪や下痢は治るのが早いと東洋医学では言われている。俺の免疫システムが強まったのかも。その証拠に熱が下がった翌朝は異様に体が軽く感じられ、パワーも漲ってくる。

昼過ぎ、マリーナホップで開催のHURRICANE KATRINA BENEFIT CONCERT Vol.3にSaxユリカちゃんとのユニットで出演。てっきり、以前出演したマリーナホップ内の中央付近にある「おふね」の中でフラミンゴ(にせもの)に囲まれて歌うのかと思っていたが、リッパなステージが駐車場の隅に設けてあり、ややひるむ(笑)。PAスタッフも6名とヤル気満々。おっと、司会進行役には楠木町の怪人こと野中氏と、サエミ嬢。こんなんだったら、もうちぃとステージ映えするハデなコスチュームを考えとくべきだった。ジーンズに白Tシャツは地味過ぎたです。
ほぼ定刻通り、3時ちょい前にステージに上がる。客は50人前後。
「UMIKAJI」>「テビチ記念日」>「その男ヨシオ」>「月の下ジントヨー」>「サティスファイマイソウル」>「ひかりのうた」
計30分きっちりで終了。俺個人としては今年ワースト1の出来だったが「月の下」のユリカちゃんのSaxソロは鳥肌がたつほどキマった。
「小林さん、今のエカッタでしょ?!」
「うん、エカッタ!次回もこれでいこう」
などと、ライブ中であるにもかかわらず自画自賛する俺らって、やっぱヘン(笑)。

帰り、クルマを運転しながら本日の敗因を考える。まず、久しぶりにオベイション「銀次郎」を使ったのだが、最近は半年ぐらいテイラー「八丁念仏」ばかりだったので、ボディも薄く弾きやすいはずの銀チャンが、最後まで手に馴染まずグルーブが出なかった。それと選曲のミス。シンプルな編成では歌詞が際立つのでシリアスナンバーと能天気路線が見事に噛み合わない。持ち時間30分というのは一番難しいのう。結局、客との距離が縮まらず、空回りしっぱなし。普通なら「はいお疲れさんでした!」で済むところが、この頃はステージに対してガメツイほどの欲が出てきた。いい兆候ダス。

*写真:マリーナホップの駐車場は空が広く、アングルによっては設計コンセプト通り「マイアミ」に見えなくもない。

東京タワー (2005.10.01)

「おい、クーちゃん、そろそろ起きにゃいけんでぇ」と、いつも通りアクロバティックなポーズで眠りこけているセガレにかけた朝一番の声はすでに鼻声だった。やけに痰がからむ。風邪か?!

昼過ぎ、近所の松尾武道具へ脇差しサイズの木刀を買いに行く。通常サイズの木刀を室内で振り回すといろんなモノを壊してしまいそうで怖かったが、これくらい小振りなら大丈夫だろう。心置きなく心体育道木剣術も練習出来るというものだ。などと考えつつ木刀握って店の階段を降りながら熱っぽさが一段と増したことに気付く。

夜の道場稽古に備えて早めにメシを食ったあと、熱計ったら37度オーバー。稽古は諦めて少し朦朧としたまま、昨日買ったリリー・フランキー著「東京タワー、ボクとオカンと、時々、オトン」を読む。これ読んで、盟友山口 洋は何度も号泣したらしい。俺はめったに泣かん。泣かせられるもんなら泣かせてみい、、、と、3分の2ほど読み進んだところで俺の涙腺が最初の決壊。こんなに泣いたのは小学3年生のとき、映画「子鹿物語」を見て以来のことだ。っつーか不覚にも、山口さんちのヒロシ君並に何度も声を上げ泣いてしまった。3回まで数えたがあとは知らん。何回目かの号泣だったか、本のページの上にボタボタと雨垂れのように落ちる涙の音でふと我にかえった。「なんでこんなに泣けるんじゃ?」

2年前、俺がフリーになろうかどうか考えていた時、デザイナーのK氏にこんなことを言われた。
「小林さんぐらいの文章力があれば絶対食っていけるよ。ボクの武蔵野美術大学時代の仲の良い先輩がおるんじゃけど、インチキ臭いコラムを書きまくってかなり儲かっているらしいよ」
その先輩というのが俺と同世代のリリー・フランキー氏。俺も氏のオチャラケコラムが好きでよく読んでいたけど、こんな心臓を鷲掴みするような自伝小説が書けるとは思ってもみなかった。

どんな内容か、ここに書くほどヤボなことはない。とにかく今すぐ書店へ走ってもらいたい。読んだあと、アナタはきっと父や母、あるいは息子や娘、兄弟や友人を、今以上に愛することになるだろう。素晴らしい本です。俺、今熱があるけど、テキトーに言ってるのではない。家族ほど大事なものはないのだよ。流した涙がそれを気付かせてくれる。なんでこんなに泣けるのか。それはアナタや俺がいつも無償かつ無限の愛に包まれているからだ。
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