Far East Lounge 三代目春駒小林一彦オフィシャル 小林一彦イラスト

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2004年04月の日記

新しいバッグ (2004.04.30)

銀行口座に数社からの入金確認。フリーになって初。やれやれ。月末払いのところもあれば、10日、15日払いのところもあるので、サラリーマン時代の「月収いくら」的尺度は意味を成さない。ある時はあるし、無い時は無い。よくわからんが、何故かワクワクするです。

イラクで人質になっていた今井君と郡山さんの会見。間違いなくこれは「会見」であって「釈明会見」ではない。今井君、しっかりしとるね。世界に開かれた視野と他人を思い遣る愛、強靱な行動力を持った若者が、この国にもまだちゃんといたことを誇りに思ったのは俺だけではないと思う。彼らを「反日分子」よばわりした柏村参議院議員さんよ、あんたは広島に長く暮らしながら一体何を見てきたんじゃ?俺は恥ずかしいで。

会社辞めた日から、部屋の隅に放り投げてある仕事用の黒いバッグ、冷めた目で見るとダセエのなんの(笑)。10年使ってきたからブワブワとだらしなく形が崩れ数カ所破れもあり、貧乏臭いったらありゃしない。で、初収入を祝して新しいバッグを購入。古いヤツは墓でも作ってやりたいぐらい。ご苦労さんでした。

昨日、クレド前広場に展示してあったアウディのTTクーペ、その美しさが瞼に焼き付いてなかなか離れんかった(笑)のだが、沖縄に行ってる相棒、久保直樹からのケイタイメール&画像を見ていっぺんで吹っ飛ぶ。ヤツは今日から数日間、那覇〜慶良間を臨時シーカヤックガイドとしてサポートしている。今日だけで数え切れない程のトビウオ、超特大サイズのウミガメ、サッカーボール大のハリセンボンと遭遇したらしい。リッチな車をこれ見よがしに転がすより、やはり俺はウィルダネスの中で思いっきり命の歓喜を味わいたい。く〜、久保よ、今度はアンタが羨まし過ぎて夜寝られんぞい(笑)。
晴天好日 (2004.04.29)

オタマと二人で、紙屋町、本通あたりをブラつく。な〜んもない、おだやかな一日。

心体育道DVDの販売ルートの打ち合わせで、昨日から東京に行っておられる廣原先生からデンワ。「今、歌舞伎町におるんよ」とヤケに弾んだ声(笑)。相当エンジョイされていらっしゃるよう。詳しいことは書けまへん(笑)。
ルールを守ってニコニコライブ (2004.04.28)

先日日曜日の「おのみち音楽祭」を見に来てくれた人から、有り難いことに賞賛のメッセージを多くいただいた。その中に「どうしてFar East Loungeだけ演奏時間が極端に短かったのか?」というのがいくつかあった(梶山HPのBBSにも同様のカキコを発見)。演奏時間が短かったというより、俺らはきっちり20分の演奏時間を厳守しただけである。イベント後半には県外からのプロミュージシャンに30分枠が提供されていたけど、俺らの出番以前に明らかに時間枠を思いっきり無視しているバンドが確かにいた。
ちょっと前、俺のラジオ番組でロックバンドゲストの泥酔事件があって、一部アマチュアバンドの「やったもん勝ち」的なふるまいに苦言を呈したことがあったが、今回の彼らは確信犯だな。勘違いしているヤツはどこにでもいる。
昨日もラジオの放送前にイコマと少し話したけど、ミュージシャン、パーソナリティ、政治家等、いずれも客やリスナー、支援者に対してだけ「いいヤツ」であってはNG、という意見で一致した。ライブイベントであればオーディエンスに力一杯のいい演奏を聞かせる努力は当然ながら、イベントスタッフや共演者にも配慮するのが一流である。梶山のハナシでは「ぷっちょ」のCMでお馴染みの有名美形シンガー(笑)G氏は、ライブ会場入りするとたっぷり時間をかけて、PA、照明関係者にはもちろんのこと、警備のバイトのニイチャンにまで「本日はよろしくお願いします!」と丁寧に挨拶して廻るそうである。見上げた心がけではないか。

政府が例のイラクで人質となった人たちに総額300万円もの請求をするというハナシを聞いた。また、広島出身の元アナウンサー柏村参議院議員が彼らを「反日分子」とこき下ろしたことも。政治屋っちゅうのはどうしてこうも横暴な感性してるのだろうか。イラク派兵しかり、年金改革法案しかり、ヤツラをこのままのさばらせていると、間違いなくこの国は滅ぶ。ちゃんと声を出していこう。無関心はいけません。
キャシャーンがやらねば誰がやる?! (2004.04.27)

先週連日のハードワークが影響してか、さすがに本日は体がダルい。ふにゃ〜っと執筆。

本日のラジオ、風邪ひきイコマ、高熱で朦朧状態。「キャシャーン」のような大型マスクが笑わせる。番組が進むにつれてますますしんどくなってきたらしく、時々白目を向いたまま、俺のコメントに無言でウンウンとうなずく様は極めてブキミ。でも、なんとか最後まで頑張ってくれた。「バスで帰る」「バカ言うな、タクシーにせい」まったく生放送はこういうときツライわな〜。そういやアニメのキャシャーンの決めゼリフは「キャシャーンがやらねば誰がやる?!」だったのを、イコマが乗ったタクシーを見送りながら思い出し、ひとり吹き出す。
ところで放送前、Pステスタッフに確認した所によると、俺らFar East LoungeがFFのステージにあがる予定はまったく入っていないことが正式に判明。とすると、ツンチャンの見た「スケジュール表」というのは一体なんだったのだろう?まぁ、これでFFスタート以来、俺とチューピー梶山の連続不参加記録はまたしても更新された。ちょっと安心したりして(笑)。

俺は逆子だったため、帝王切開で産まれて来たが、なんとコタマもバッチリ真似してやがる(笑)。産婦人科の指示で本日より一週間、オタマは寝る前に10分間の骨盤位(逆子)矯正体操を実施。これでほとんど治ってしまうそうである。
一宿一飯の恩義 (2004.04.26)

AM7:20起床。フトンの上でゆっくりカラダをほぐしてから、徒歩10分の距離にある喫茶店「ケープタウン」へ、一晩俺の「もぐもぐ1号」を駐車させてもらったお礼を兼ねて梶山とモーニングを食べに行く。この店、井上さんの奥さんがパートで働いている老舗喫茶店。備後エリアの有名タレントA山I発氏の実家とか。モーニングサービスがバイキングになっているのはなかなか珍しい。ふだん、西式健康法の朝食抜き生活を実践している俺らが極めてつつましく食事をしている隣の席で、豪快におかわりしまくっているオバチャンあり(笑)。それにもまして、店頭にド〜ンと掲げられた看板の「朝は輝いて、、、バイキング!!」なるキャッチコピーには笑ってしまった。特に「輝いて」のあとの含みを持たせた「、、、」がイイ。たしかにあのおかわりオバチャン、肌が奈良の大仏サン並にツヤツヤ輝いておる(笑)。こういう店があるとホッとする。

昨夜は作家でもある井上さんから、この尾道周辺地区の歴史的、民俗学的背景と現状を少しばかりレクチャーしてもらった。同じ広島県ではありながら、それはまるで異国の話のようであり興味深かった。ところで井上さん、梶山の指摘で気付いたのだが笑うと俳優、中尾 彰にソックリ(笑)。

一宿一飯の恩義で、井上さんの最新著作「太田川評伝(マジで歴史に残る大傑作。まだの人は是非読んで!)」を広島市内の某出版社に届ける「運び屋」を請け負う。段ボール4箱分。もちろんクルマは入れぬから、必殺ワザの一輪車(通称ネコぐるま)を使用し、宅配業者泣かせのつづら折り細道をエッサホイサと3往復。斜面に一見乱雑な感じで家が建ち並んでいる気がするが、長い年月の間にそれぞれのフォルムが互いに呼応しあって絶妙なバランスで形成されたことが、ファインダー越しに覗いていてよく理解できた。どこを切り取っても絵になる。何かに似ている、、、そうか、沖縄の海で見た「珊瑚礁」だ。限り無く有機体。井上さんによるとこの一帯ではときどき腰を抜かす程の激安庭付き中古物件が見つかるという。一瞬、心が揺らいだ(笑)。

AM10時、井上さん宅を辞し、2号線をたどって12時広島着。某出版社へも無事納品を済ます。

家に着いたら早速仕事開始。新規も舞い込んでくる。尾道ツアー、夢のような一泊二日であった。皆さんホンマにありがとう。

尾道三昧 (2004.04.25)

AM10:00、ちゅーぴー梶山宅にFar East Lounge全員集合(3人だけど)。俺とちゅーぴーの乗るストロングもぐもぐ1号、ツンチャンの運転するトラック「水木畳店」号と2台で一路尾道へ。深川〜竹原経由で12時過ぎに「第3回おのみち音楽祭」会場である尾道駅前ベルポール広場に到着。昼飯を兼ねて近所を散策し、予定より30分遅れの15時過ぎ(時間がかなり押し気味であった)、出番。数百人の聴衆、しかも半分以上が高齢者(笑)。しかし皆さん「聴く」体勢万全とお見受けした。持ち時間は20分。聴衆の向こうには海を挟んで文字通りの「向島」が新緑に彩られて眩しく萌えている。海峡をゆっくり往来する貨物船やフェリー。オフショアの風がこれまたメチャクチャ気持ちよく、俺のハートも希望の旗となって翻る。セットリスト「カプチーノもう一杯」>「黒いストッキング」>「夫婦蛸」>「その男ヨシオ」でキッチリ20分。PAは最近のライブでは最高の音質。客の反応もまずまず。曲間の俺の漫談おやじトークにバカ受けしているオバアチャン約一名(笑)。演奏終了後、CDも数枚売れる。嬉しかったのは、たった20分のためにわざわざ尾道市外から応援に駆けつけてくれた友人やラジオのリスナーが10人以上もいたこと。
もちろん、おのみち音楽祭実行委員会の皆さんのバックアップも秀逸。いや、このテのイベントに出演した中では最高の運営管理であった。ほんとうに出演させてもらってありがとう。
地元のキーボーディスト、ハッチャンには尾道の顔役(?)で元市議会議員の城間氏(なんと奇遇なことに彼は先月の平和公園反戦集会にも参加しており、原爆ドームをバックに演奏した俺たちをえらく気に入ってくれていたらしい)を紹介してもらったし、尾道氏在住の井上夫妻には自宅を宿として提供してもらったりと、終日いたれりつくせり。

で、夜は駅から徒歩約15分の距離にある井上さん宅にてFar East Lounge御一行歓迎の酒宴(ツン氏は日帰り)。シンガー仲間の平野ゆりちゃん、ハッチャンとその友人2名も加わり、日付けが変わっても延々と杯を交わす。ところでこの井上邸、尾道特有のクルマも入らぬ細く入り組んだ坂道を上り詰めた高台に在る。「転校生」「さびしんぼう」など尾道三部作で知られる大林映画シリーズに出てくる、まさしくあのまんまのロケーション。聞けば、これら三部作の撮影当時、井上さんの奥さんもエキストラとして出演したり、撮影スタッフや子役達もこの井上宅に足しげく遊びに来たらしい。席を離れ、トイレでシッコしながら、なんだか実に不思議な気分。井上さん夫婦、ハッチャン、ユリチャン、尾道音楽祭実行委員会のスタッフ、それぞれが絶妙な「縁」で繋がっているんだな。そして今ここに居る俺は現実なのか?夜が更けるにつれ冷え込んできたが、心はいつまでもほのぼのとあたたかい。感謝。そして気がつけば友人達は引き上げ、井上夫婦も寝室に入り、飲んでいるのは俺と梶山だけ(笑)。おいおい、もうAM3時ですど。
クリエイター名利 (2004.04.24)

環境月刊誌「環太田川」の編集をやっているA企画のY氏よりデンワ。明日の夕方までに原稿もらえないかとのこと。明日といやぁ俺は午前中から尾道に行ってるはず。しゃーない今日中に書かにゃ、、、てなわけでモゾモゾやっているとあっちゅーまに出来上り。400字5枚程度のコラムなら2時間ぐらいで書けてしまうぞい。内容もけっこう面白く書けた、と思う。テーマは「生涯現役」。読みたい人は、是非定期購読を。

明日の尾道ライブに備えてギター、機材のチェック。オベイションの、ペグを土台(ヘッド)に固定するナットが弛んでいるのを発見。やばいやばい。しかしこの歳になって実によく道具の手入れをするようになった。必要なものだけを手元において、そいつを大事に、長く使う。次々新しいものを買い込むよりそっちのほうがカッコええ。

夕方道場。デザイナーM君がやってくれた心体育道DVDパッケージ案を先生に見てもらうと、たいへん気に入ってもらえた様子。演武実演、撮影、ナレーション、音楽、編集、デザイン、、、とうとう「メイドイン広島」で完結してしまった。歴史に残る高レベルと言い切れる。

夜、某デザイナー氏、頼んでいたカンプを俺んちまで持って来てくれる。ブラボー。これまた想像以上の出来栄。俺もいろいろやってきたが、生涯現役を貫き通したい。
人生初のFF出演?! (2004.04.23)

昨日遅く、パーカッショニストのツン氏からデンワ。
「おい小林、ワシら、フラワーフェスティバルに出ることになっとるんじゃの。ワシゃ知らんかったで」
「え?そんなこと決まってませんけど、、、」
「今、手元に刷り上がったFFのスケジュール表持っとるんじゃが、ちゃんと『5月3日チューピー広場、18:30〜19:00、Far East Lounge』っちゅうて書いてあるもん」
「マ、マジっすか?!」
チューピー広場といえば、間違いなく中国新聞社とPステーションの仕切りである。どうやらハメられたらしい(笑)。たしかにPステスタッフから「小林君、連休のスケジュールどうなってんの?」みたいな聞かれ方はされた憶えがある。しかし本人に承諾なく出演が決められているとは、さすがPステ恐るべし。5月2日法事(その男ヨシオの三十三回忌)、心体育道黒帯研究会&DVD完成試写会、3日FF出演、4日ラジオオンエア、5日森永セイジ氏とのジョイントライブ、、、、かくして俺のGWは消滅した。オタマを水族館に連れて行く約束、どないしょー(ToT)。

ところで突然であるが、有限会社を立ち上げようと思っている。できれば年内。仕事を取るにも発注するにも、その方がなにかと便利のようである。名前は「(有)天然発想」っつーのはどうじゃ?
デスカッション (2004.04.22)

新規の仕事のキャッチ&ボディコピーをナイアガラ瀑布の勢いで仕上げる。10年近く前、オフィスにコピーライターが俺一人しかいなかった頃、10社以上の仕事を同時進行でこなしていたことがあった。あの時の経験で異常な集中力が発揮できるようになった。PCがあれば、いや、紙とペンがあれば、俺は周りがどんなに煩かろうと問題なく仕事できる。

他の仕事も一段落着いたので部屋とベランダの掃除。枯れさせてしまった鉢植えを処分し、オフクロが新しくコーディネイトしてくれたナントカという木(どうも覚えられん)を設置。植物があるだけで空間のイメージは随分変わるもんだ。勢い余って実家の掃除もやる。独身時代、俺は六畳をニ間ほど占領していたが、それが今はトレーニングルームとして使っていたひと間に、アウトドア用品、本、ギターアンプ、各種工具、トレーニングマシンなどが物置きさながらに詰め込まれている(あ、このハナシ前にも書いたね)。この部屋に入ってシーカヤックのパドルや航海用コンパスを見つめていると冒険心が滾ってくる。ああ、俺は男に生まれてよかったわい。

夜某デザイナ−氏と打ち合わせ。彼と仕事をすると、俺は通常よりずっと高くハードルを設定できる。議論も白熱。こりゃディスカッションというより斬ったはったのデスマッチ、「デスカッション」ってとこか。今回の仕事も「超えたモノ」が出来そうな予感。
ファミレスクリエイター? (2004.04.21)

執筆モード全開。同時に、新規の仕事のオリエンシートがFAXでじゃんじゃん送られてくる。おうおうおう、まっかせなすぁあああい!まだ余力たっぷりじゃい!あと5倍くらい忙しくなってもヘッチャラ、、、とすんなり言えたらどんなにいいことか(笑)。いや、俺の限界はこんなもんではないハズ。

ふと気付けばすでに夕方。そういや今日はまだ一歩も外に出ていない。と、某代理店担当者から打ち合わせのお誘い。早速近所のファミレスにてミーティング。しかし、フリーになってからというもの、打ち合わせ場所のほとんどがファミレスである。これで気が散ったりすることはない。むしろ、イマジネーションの風通しが良くなる。あ、それなら愛機PowerBookG4持ってファミレスで原稿打つ手もありますな。面白そう。
迷惑って?! (2004.04.20)

昼からデザイナーK氏と呉の某シティホテルの企画担当者を訪ねる。それにしてもK氏、扱う「品目」が
多彩なせいか、実に顔が広い。クライアントからの信頼が熱いのは仕事内容だけでなく、彼の気配りによるところも多い。勉強になりました。

本日のゲスト、スタジオDJジャックはチューピー梶山。「おのみち音楽祭」実行委員会の北原さん。梶山のピックアップした数々の妙ちきりんな異端ミュージック、なかなかに味があり面白かった。自分の見識を広めるためにも他人のセンサーを採用するのは有効である。これからも定期的に頼みたい。

例の邦人拉致事件に関し、政府を初めとして「自己責任論」が沸き起こっている。しかし「迷惑だから行くな」っつー言い方はなんなのだろう。ニッポンは一応民主主義国家のはず。自国民が自由に発言し、自由に行動する権利を保証する「義務」を放棄しているとしか思えない。ましてやジャーナリストやNPO民間支援団体の活動を統制する権利などあろうはずもない。前にも書いたが政治家は究極のサービス業であって「お殿様」じゃない。アフガンやイラクで日本人が比較的好かれているのは、民間人によるこれまでの献身的な活動が評価されての「信頼残高」にほかならない。「日本人は拉致された人々の勇気ある行動に誇りを持つべき」とコメントした米国パウエル長官、少し見直した。
ホレホレホレ、、、 (2004.04.19)

午前中、某映像プロダクションにて、修正の終わった心体育道DVDビデオ最終チェック。廣原先生も同席。今度こそバッチリ。チェックするつもりが、見終わったら感動していた(笑)。6月アタマのリリースには間に合いそう。達成感で思わず顔もニヤけてしまう。

昼からは原稿乱れ撃ち。集中し過ぎで夕方には完全にバースト。気分転換のつもりでウクレレいじっていると、昨日の「貝掘り」をテーマに一曲できる。

「潮干狩りの歌」

きょうは大潮、イイ天気
みんないっしょに出かけよう
世界遺産宮島へ
みんなで貝掘り出かけよう

道具もカヌーに積み込んで
ビールもたっぷり忘れずに
さぁ、漕ぎだそう

(*)
ホレホレホレホレ
ホレレイヒー
ホレレイヒーヨロレイヒー
アロハオエー

ところでビーチに着いたなら
まずはビールで乾杯だ
焦ることはありません
アサリはどこにも逃げません
潮がググッと引いたなら
熊手を握っていざ出陣
さぁ、掘りまくれ

(*)繰り返し

、、、この曲のキモは、サビ部分のヨーデルである。なぜ「アロハオエー」が入るのかも作った本人さえわからない。オタマに聴かせてやると「アホらし過ぎる。人前で歌ったらミュージシャン生命が終わる」とのキビシイご意見。ごもっとも。で、夜、しっかり砂を吐かせたアサリ君を酒蒸しで食う。世間のみなさんに申し訳ないくらいウマ過ぎっ。
サンデー・ビーチ・パラダイス (2004.04.18)

久保直樹を迎えに行って、AM10時、大野町のパドルパーク着。ここの艇庫に預けてある俺ら「38スペシャルズ」のフラッグシップ「グレートジャーニー」をヨッコラセと引っぱりだし、宮島へ向けて出発。快晴&ベタ凪。海の上を歩いて行けそうなほどの静寂感、、、、あうっ、もうダメ!漕ぎ始めて20分でさっさと最寄りのビーチに上陸し、とにもかくにも缶ビール(笑)。ヒャッホー!ウマすぎるぜ。パラダイスだぜ。たちまち一本目がカラになり、もう一本。てなカンジで気が付けば持って来た合計10本、ことごとく飲んじまった。完全に酔っぱらった二人の中年男、潮が引き切った頃ようやくヨロヨロと腰を上げ、本日のメインイベント「貝掘り」開始。30分後にはそれぞれバケツ一杯分をゲット。腰も痛くなってきたので終了、対岸のパドルパークへ帰港すれば、俺らの本日の収穫を見て「ぐわっ、こんなドでかいアサリ見たことないよっ!」と、驚くシーカヤック仲間たち。せっかくだから分けてあげる。いや、実際、俺らの秘密のポイントで捕れるアサリは、一般的に市販されているものの軽く4、5倍はある。味もバツグン。カヤック漕いで、ビーチでビール飲んで、アサリ掘って、、、こんな贅沢ちょっとないど。久しぶりに思いっきり息抜きができた日曜日でしたっ。
カープ5連勝! (2004.04.17)

朝9時過ぎ、イコマが来宅。マンション下に停めたヤツのクルマの中にて、新曲「ゴク楽クッキングのテーマ」のハモを練習。意味不明のイイ歳をした男女が、大声で妙チキリンな歌を熱唱している(しかも俺はウクレレを弾いている)のは、通行人にはさぞかし異様に見えたことだろう。

昼、そごう地下1階で「イコマのゴク楽クッキング」収録。前回、しつこいくらい改善をお願いしていたワイヤレスマイクの不備が、まったくそのまんまであったため、結局使えず、有線マイクのみで乗り切ることにする。オープニングで「ゴク楽クッキングのテーマ」初お披露目。ボーカルはマイクで拾ったが、ウクレレは生。はたして、ギャラリーにちゃんと届いたかどうか。しかし、歌った本人たち(俺、イコマ、そしてS嬢とK嬢のダンシング)としては、かなり楽しかった(笑)。練習の成果あり?!肝心の料理「炎のマーボー豆腐」、大成功だったと思う。サポートをいただいたオタフクソースさん&肉屋のかぐらさんに感謝。

クッキング終了後、トライアスロンのように雑務をこなす。神経を張り詰め過ぎか、夜になると俺には珍しく頭痛。が、しかぁし!カープがジャイアンツ相手にすばらしい逆転劇を演じ、気分すっきり。この粘りは本物。
春の小川、、、 (2004.04.16)

自宅のデンワもケイタイも夕方まで、ほぼ鳴りっぱなし。間隙をぬって明後日結婚する知人に祝電を打ち、ヤマハ広島店にCD依託販売継続申請書を郵送し、某TV局のメルマガを執筆し、大手DVDプレス会社に見積もりの問い合せをし、オタマを車で横川に送り、フジに米とトイレットペーパーを買いに行き、、、とにかくエキサイティングな一日。

Kデザイン事務所からも新規仕事の打ち合わせに同席してほしいと要請がある。気が付けばどんな業種かもおかまいなしに「了解!」と調子よく返事している俺がいる(笑)。今はなんでもできそうな気がしている。俺の中からアイデアが沸き出すというより、俺がアンテナになって、そこに外部からのインスピレーションが流れ込んでくる感覚に近い。春の小川みたいにサラサラいきましょう。
ロケ、テーマソング作曲、編集会議参加、人質解放 (2004.04.15)

二晩続けて、富士山が噴火し、関東圏が大震災に襲われる夢を見る。

午前中、O君宅にて、ゴク楽生活委員会の来週更新分を収録。今回は「ラップミュージック入門」。リズムマシンをバックに、即興でラップを歌おうという趣向。

明後日収録予定の「イコマユカのゴク楽クッキング」のためのオープニングテーマソングを作曲。ものの15分で出来上る。

夕方、太田川環境保全月刊誌「環太田川」の編集会議に参加。俺が提案した新しい表紙案についての検討会。概ね、俺の案が採用されそうな気配であるが、この月刊誌の行く末には已然として暗雲が立ち込めている。正直に言って、雑誌を発行し続けることの意味というのか、明確なビジョンが見えてこない。資金、人員etc、、、シンドイのはわかる。だが、カネを払って買ってもらうのであれば、金額に似合ったレベルに引き上げる努力を惜しんではならない。この場合の努力とは、「デザイン」であり「色」である。俺がこだわった「せめてプラス一色にする」という案は却下された。このままでは同人誌の域を出ることはない。まぁ、俺は編集スタッフではないのでこれ以上言えん。

人質となっていた3人の邦人がようやっと解放された。詳しいことはまだわからないが、今井青年はじめ皆さん思ったより元気そうでなにより。日本政府が事件解決に向けて果たした役割を考えると甚だ疑問。3人の口から、いかに今回の戦争が矛盾と悪意に満ちたものであるかが語られるのを期待したい。
人質報道に対して、ファルージャにおいてこの数日間だけで民間イラク人600人以上が虐殺されたことはほとんどメディアに取り上げられていない。うち、子供が120人、女性が200人。つまりほとんどが非戦闘員。手を下していたのは、ここを包囲していた米軍である。日本人であろうがイラク人であろうが、命の重みは等しいはずだ。
炎の鉄板ゲスト出演、、、改造の成否2態、、、 (2004.04.14)

朝っぱらからPステへ。五反田さん担当の「スペース9」っちゅう番組内のコーナー「炎の鉄板」にゲスト出演。今週末に迫ったイコマのクッキングショーの告知をする、、、、はずであったが、のっけからウクレレ弾きつつ登場の俺、「テビチ記念日」を1コーラスほど熱唱したらば、気分はすっかりミュージシャンにシフト(笑)。あやうく使命を忘れるところであった。最後に俺のCDから「その男ヨシオ」をフルコーラスでかけてもらったりして、このセッティングをしてくれた、まんてんさんにも感謝。お礼に皆さんにCDを1枚づつプレゼント。ところでまんてんさん、女性でありながら高校生時代にライフル射撃で国体出場経験もおありとか。俺も銃を手放したので、ようやっと人目をはばからずにこのテの話ができる。

出演後、オタマと本通で待ち合わせ、昼飯。オタマの服を2着購入。迫り出したハラを圧迫しないタイプのシャツとカーディガン。しかしこのひと、俺と違ってめったに服を買わない。いや、俺も最近は買わなくなったね。これからも必要ないモノはどんどん人にあげたり処分したり、デザインが気に入らなくなったヤツは加工したり、、、と、捨てるつもりでいた立体裁断のラメのジーンズ(どんなジーンズや?!)を裾をブッタ切ってショーツにすることを思い付く。早速知り合いのジーンズショップに持ち込んでやってもらうと、これがなかなかの出来栄。立体裁断だから面白いシェイプ。なにしろ世界に一つしかない。夏はこれでいこう。

夜、スタジオDUCKにて改造&修理し終わったギブソンJ-50のテスト&デモ演奏。実際にラインでつないで、出音をチェックするつもりだったのだが、弦を張り替えていた段階で致命的な修理箇所を新たに発見。弦高を下げるためサドルを削ってもらったのだが、削り過ぎ(?)で、なんと、2番のゲージがサドルに乗らず「浮いたまま」状態。弦のメーカーのエンド処理で乗ったり乗らなかったりすることがわかる。厳密に言うと、張り替える以前のダダリオのライト弦はOKで、張り替えようとしたタカミネはダメ。ためしにヤマハのミディアム弦を張ってみるとなんとかセーフ。トホホな気分でDUCKに行けば、わざわざ俺の歌を聞きにノブ君とまんてんさんが来てくれているではないか。気合い入れて5曲(「もう一晩お前と」>「桜吹雪」>「夫婦蛸」>「春は流れて(新曲)」>「ひかりのうた」)を熱唱。結果、ギブソンJ-50がまったく使い物にならないことが判明。ペグの交換、サンライズピックアップの装着、エンドピン交換、弦高(サドル)の調整、すべてがムダであった。なんなのだこの音のショボさは。数週間前、これを得意げに使って「水辺の音楽祭」に出演していたと思うと、今さらながら恥ずかしい。これでステージで満足に使えるのはオベーション2本だけとなった。
心体育道ミックスダウン、、、春のDJ祭、、、 (2004.04.13)

毎年この季節に見る夢の気色悪さ、リアルさといったらない。目覚めて10分もすればキレイに忘れてしまうけど、自分の脳が勝手に描き出すビジョンとはいえ不思議なものだ。夢の中で見た映像をそのまま再生できるシステムがあったらどうだろう。映画なんか必要ないくらい刺激的なものに違いない。

午前中、某映像プロダクションにて廣原先生立ち会いのもと、ミックスダウンの終了した心体育道DVDの最終チェック。2、3修正の必要な箇所を発見。特に微少なノイズが俺は気になった。前に医者から言われたことがあるが俺の耳は常人には聞こえにくい周波数の音声を聞き取ることができるらしい。数日後、もう一度修正したのを確認すれば、プレスにかかれる。それにしても、何度見ても先生の演武はスゴイ。見ごたえ十二分!

本日のラジオ、春のDJ祭クルクル寿司!っちゅう企画を例によって発作的に立ち上げ、広島カリスマDJ衆であるテディクマ、ブーツィー、KAMACHI、森口リョウタ氏(風邪で動けぬMAKO氏の代打)にご登場いただく。ほぼ2時間ブチ抜きで各氏が持ち寄った音源オンエア&DJ談議。なんかFMらしいというかミュージックステーションぽくてイイ。

イラクの日本人人質、解放が遅れているが、これは俺が考えるに小泉首相にも大きな問題があると思う。繰り返すようだが、なぜ初めに実行グループを十把一からげに「テロリスト」よばわりしたのか。反勢力組織とかレジスタンスというのがふさわしい。劣化ウラン弾などという極めて非人道的な兵器を使用したアメリカの丁稚風情が、何を正義ぶってやがる!と反感をかっていることは間違いない。それが解放への意志統一を妨げているのではないか。それから、実行グループが潜伏しているとおぼしきエリアをぐるっと米軍が取り巻いていて、人質を解放しようにもヘタに動けない状況では?アメリカに泣きつくことで人質を返せといいながら、返しにくい状況を自ら作り上げている気がしてしょうがない。
毎日が日曜日なら、、、 (2004.04.12)

前日どんなに酒を飲んで翌日まで残っていようが、気合い一発で仕事に取りかかれるのがフリ−ランスのいいところ?てなわけでアルコール臭い息を吐きつつも朝早い時間から執筆開始。自宅では気が散って仕事できないという声もよく聞くが、俺はどんな環境にいようと「書く」ことに関してだけは物凄い集中力をキープできる。カッコウを気にしなくていいというのもありがたい。今年初の夏日(25度じゃげな!観測史上2番目の早さ)を記録した本日は半パン半ソデ。こりゃ夏になったらパンツ一丁だな。

サラリーマン時代、経理に業務日報を提出することをしょっちゅう忘れまくっていた俺である。ところが独立後は業務を滞りなく遂行するために必要不可欠なアイテムと化した。これまでフツーのノートで代用してきたけど、やはり正規のものがよかろうと文房具店でいろんなタイプを物色。しかしどれもピンとこん。しかし、見開き2ページで一週間分、五日分、三日分っつータイプもあり、日数の区切り方で時間の捉え方も随分感覚的に変わるもんではある。一週間分にしても日曜日から始まるのと、月曜日から始まるのとでも気分変わってくる。俺が欲しいのは毎日が日曜日のタイプだったりして。
人質解放決定?!、、、三度目の花見、、、 (2004.04.11)

朝の第一報で、「サラヤ・アル・ムジャヒディン(戦士旅団)」が24時間以内に3人の人質を解放する声明を発表したとのこと。アルジャジーラが流しまくった人質家族の訴えが効いたのかも。早々と「撤退はしない」と明言した小泉純一郎氏など、犯行グループを逆上させただけで、まったくの役立たずである。国家という融通の効かないマイノリティ(かじ取りをしているのは一部の政治家であるからしてマイノリティだ)より、同じ目線で会話ができる民間レベル主導の草の根交流こそが、相互理解を促し、真の復興援助を可能にすると信じる。政治家や軍、そして宗教に国家を語らせるとロクなことにならないのは歴史が証明している。

親族のちょっしたトラブルに対処するため、スクランブル発進ができるようスタンばっていたのだが、結局延期に。まぁこれはこれでしょうがない。

夕方、裏庭(比治山)にてデザイナーK氏ファミリー、Mファミリーとともに花見。今年は花がよく持ったものだ。途中からまったく出し抜けに人間世界遺産、田原男爵登場。たまたま通りがかっただけというのがスゴイ。これぞ腐れ縁の極みなり。桜天井の下、缶ビールがどんどんカラになっていく。俺ももう知らないっと(笑)。

「国際貢献」の実体は、、、 (2004.04.10)

イラク人質関連の新聞記事を読んでいて、この広島でも「自衛隊を帰せば、日本はテロの言いなりになる国と思われてしまう」という声があるのに驚いた。アメリカという史上最大のテロ国家の言いなりになっていることは気にならないらしい。でも、議論が交わされるのはとても大事だ。開戦からイラクへの自衛隊派兵まで、忠犬コイズミ君から国民に対する納得のいく説明も対話も皆無であった。日本人がストレートな表現を避けたがるのは悪いことばかりではないが、この主権の無さは救いがたい。独立自尊の精神が著しく欠落している。今回の事件で耳障りのいいコイズミ君の「国際貢献」なるものの正体が露見した。まったくの詭弁、こじつけ外交。自国民さえ平気で犠牲にするつもりだ。第二次大戦時の「お国の為に死んでくれ」という軍人勅諭を彷彿させるではないか。
犯行グループへ、人質になった家族の映像メッセージ(アルジャジーラ発)が届き、なんとか気持ちが動いて無事釈放してくれることを祈るしかない。

夜、道場。珍しくキックミットを使用しての稽古。毎回発見があるっつーのも、指導する先生、やはり非凡である。
日本政府「屁のつっぱり」 (2004.04.09)

「自衛隊を撤退させる理由はない。このまま卑劣なテロに屈するわけにはいかない」この日本政府のコメントを聞くとハラがたつやら悲しいやら。このような事件が起こりうることはかなり多くの日本人が想定していたと思う。それがわからずに派兵した?まったく社員旅行じゃないんだぜ。かの地はまぎれもない「戦場」。そして「自衛隊」は、政府がどう呼び名を変えようと諸外国にとっては「軍隊」そのものである。アメリカのカバン持ちであっても反米勢力から見たら「日本軍=敵」でしょ。殺し合いをしている最中に「卑劣」もクソもねぇっつーの。だいたい自国民の命も助けられんのに、ナニが「復興支援」なら。そもそもこの戦争の発端となった「大量破壊兵器」はどうなったんじゃい。「まだ出てくる可能性はある」って小泉サンよ、それって「ネッシーはまだ生きている!」というのと大差ないレベル。可能性なら、なんだって言える。なんもかも釈然としない。
今回人質となった3人の中には、俺も参加した一昨年の「NO WAR NO DU」広島行動に関わった今井紀明クン(18)がいる。直接面識があるわけではないが、彼にイラク行きを決意させたきっかけの中に「ヒロシマ」で劣化ウラン弾について森滝春子さんから学んだことがあるようだ。危険度が日増しに高まっていくこの時期に、あえてイラク入りしたことを俺は軽はずみな行為と思う。が、それでも抑え切れない衝動という若者の特権がある。今井クンも含め彼らにはなんとか生きて帰って欲しい。今回の経験を活かして世界に通用するジャーナリストになってもらいたい。

しかし、ここまで無能無策な政治家、いや、「政治屋」をのさばらせることになった原因は国民にもある。何度も言っているが、まず、政治屋をイナカもん丸出しに「先生」などと呼ぶことからヤメよう。少々有名大学出たぐらいで「エリート」になってしまうのもおかしい。そんなことだから学歴詐称事件が起こるのだ。これも日報に書いた気がするが、政治家とはズバリ究極のサービス業であるからして、もっと国民にへりくだってこき使われるべき。高慢で超エラそげな福田官房長官にゃレッドカードじゃい。おっと、国民側の意識改革はまだある。あれだ、あれ。「水戸黄門」。誰も彼もが徳川家の紋所=権威にひれ伏すのをありがたがって見ておったのでは、真の民主主義の夜明けは遠い。とにかく身近なところから攻めて行こう。そうせにゃ、自分の経済的社会的安泰しか考えていない穀潰し政治屋どもは永遠に不滅である。

夕方、オタマと久しぶりに映画でも、ということになりマイカルワーナーで「レジェンド・オブ・メキシコ」を見る。意表を付くアホアホギャグの連続に笑い死にしそうになる。悪と闘うのが3人組のマリアッチ(ミュージシャン)で、しかもギターケースがマシンガンになったりスケボーになったり、RCカーにもなったりするんである。こりゃ傑作。音楽と酒と料理、イイ女、イイ男がいれば国は豊かになるのだと気付かされる。必見です(っつーても本日限りだからビデオで見てね)。

それでもやっぱり気になるイラク人質の安否。ひと一人愛せんもんが、大義も国家もヘッタクレもねぇ。テレビで見た、今井クンの真直ぐな瞳が痛い。
銃よサラバ (2004.04.08)

広島南署へ愛用のアメリカ製散弾銃「レミントンM870」を持って行き、廃棄処分を済ませる。銃の所持許可を得てもう12年、ライフル所持許可申請の資格(散弾銃所持10年以上経過。ただし競技用ライフルは別)もあるのだが。

銃を手にしようと思ったのは、村上龍の「愛と幻想のファシズム」と、この本のモデルとなった日本最高のハンター、齋藤令介の書いた「原始思考法」をブッ通しで読んでからだ。
当時俺は音楽活動に完全に行き詰まっており、なにより自分の存在意義に関して大いに疑問を感じていた。音楽を取っぱらった俺はなんなのか。ミュージシャンである前に一人の人間としてナニができる?10代半ばから本能のままに突っ走って来た俺が人生で始めて経験した失速だった。
が、この2つの著作を読み進むうち、俺はみるみる息を吹き返した。そもそも音楽とはなんだ?それははるか原始狩猟社会に遡る。獲物を求めて男たちは遠征する(このグループが『バンド』の語源)。獲物を仕留めるとそれを担いで女や子供達の住む村へ戻る。獲物は分け隔てなく平等に分配され、祝いの宴が催される。焚き火の周りに集い、ある者は仕留めた獲物の革を使って「太鼓」を作って打ち鳴らし、ある者は狩りの状況をメロディに乗せて朗々と語る。『音楽』『歌』の誕生だ。そして宴は、獲物の肉が尽きるまで何日も続く。そしてまた男たちは狩りへ出かける。
一方、農耕民族社会の音楽や舞踏、アートが、狩猟社会のそれと比べて薄味(もちろん素晴らしいのもあるけど)に感じるのはなぜか。農耕社会では植物が相手のため「休日」がない。しかも大きな収穫はたいてい年1、2回程度であり、収穫したあとも、今度は狩猟民族たちからの強奪襲撃を警戒しなければならないため、気を休めることが出来ず、芸術が生まれにくかったと考えられる、、、、こんな目からウロコの、でも考えてみたら極めてシンプルな哲学が展開されているのである。

なるほど、俺は狩猟民族的資質が強い。だから毎日勤勉かつ地味に働く多くの日本人(農耕民族的資質)の中にいると、なにか説明の付かない強い負い目を感じてしまうのだ。俺は俺の狩猟民族の血を尊重し解放しよう。そうすればまたなにか見えて来るかも知れない。音楽も俺の中から自然に沸き上がってくるに違いない。

それにはまず、銃だ。散弾銃の所持許可と狩猟者免許を取得するのだ。そう決心して猛勉強すること半年、どちらも一発で試験合格(このテの試験では日本は世界一の難関。当時の合格率は15%程度だった気がする)。そして医師会臨床センターに勤務していた頃の上司でスゴ腕のイノシシハンターでもあったS氏に弟子入り。11月後半から2月15日までの狩猟シーズンは、銃を担いで奥深い山に分け入り、獲物を追う日々が数年続く。

しかしS氏は難病に罹り急逝。俺も利き目である右目(右利きの人はたいてい左目が利き目のため、訓練で矯正する必要がある)の手術後、どうしても利き目が左目に移りがち。これだと銃の照準が定まらず、正確な射撃ができない。
加えて、全国的な空き巣の増加も気掛かりになってきた。銃は所持者が自宅で管理することになっている(銃砲店などで依託保管はできない)が、いくら専用のガンロッカーに入れて何重に施錠していようと、プロがその気になりゃあ簡単に破って持ち去ってしまうことだろう。以前俺の勤めていたデザイン事務所も外国人窃盗集団とみられる連中にかなり荒っぽいやり方でヤラれている。だから銃を持ってからというもの、ちょっとした旅行に出ても気になってしょうがなかった。俺にとっては「道具」としての銃も、使う人によっては44マグナムの数倍もの破壊力を持つ「武器」になりうる。

銃の廃棄手続きはあっけないほど簡単だった。今思えばかなり幼稚な発想で始めたハンティングであるが、この原始的な本能に根ざした究極の道楽から、俺は実に多くのことを学んだ。それを書き記すと本が一冊できあがりそうだ。俺の中に音楽も蘇った。それはこれまでのと違う、「喜びをわかちあう」「命の尊厳を願う」旋律でありコトバだった。S師匠が健在で、俺の目も問題なければ、ハンティングにもっとのめり込んでいたかもしれんけど、おそらく俺は銃を手にすることはもうない。やっぱり俺にはギターが似合う、っつーことか。

コタマ最新映像、、、筋肉モモタ送別会、、、 (2004.04.07)

なぜかAM5時半ごろバッチリ目が覚めてしまい(俺もジジイか?)仕方なく執筆開始。外が明るくなり始めたのでTVをつけると、いきなり幼児虐待事件報道が二件。なにかの本で読んだのだが、ある実験で、狭い環境に適正生息数をはるかに上回るマウスを入れたところ、幼児虐待、同性愛、近親相姦など人間界そっくりの異常行動が数多く確認されたという。これはマウスに限らず種の増え過ぎを自ら制御するべく、生物すべての本能に組み込まれた原始システムの発動、つまり自然淘汰であると解説されていた。通り魔、ストーカー、ロリコン犯罪etc、これら人口過剰国で繰り広げられる陰惨な事件も道徳的観点で論ずるのはもう無意味?でも宇宙の摂理みたいに考えたくはないのう。

午前中約30分、比治山をジョグウォーク。いや、なにかほかに適切な言い方が欲しい。エアロビクスやジョギングなどの有酸素運動はどちらかといえば有害(エアロビやボディビルのトップクラスの顔には年齢の割に深いシワが刻み付けられていることが多いけど、活性酸素の影響かも)と考えているので、はぁはぁゼイゼイみたいな走りをするわけではない。自宅裏の登山道は最大傾斜角25度くらいのポイントがいくつもあり、ここは一歩一歩大股でじっくり登って脚力の強化。登り切ったら、手を振らず、膝の力を抜き(腰を起点とし、自然に脚がでるカンジ)、ふわふわと、しかし素早く移動する。これは全身協調と脱力の訓練。昔、この国には「飛脚」とよばれる職業があったが、記録文献によれば、彼らが一日で移動した距離、スピードとも、現在のオリンピック記録をはるかに凌駕するするものだったらしい。しかも彼らは手ブラではなかったのだ。体力もあったのだろうが、それより「疲れない走法」を知っていたと思う。名のある剣豪が「走って体を鍛えた」なんちゅうことも聞いたことがない。身体操作法が現代とは根本的に違っていたに違いない。

昨日撮影されたコタマの最新胎内映像を見る。モミジのようなかわいい手(手相らしきものも確認できる)をニギニギしたり、口なんかパク、パクパクパクッと俺がよくやる仕種ソックリ。ますますチンコもでかくなっている。話し掛けると返事でもしそうな気配。げに、人体とは不思議である。

夜は市内某所にてシーカヤックショップ「パドルパーク」の鉄腕アウトフィッター、筋肉モモタの送別会。日本シーカヤックメーカーの雄、「ウォーターフィールド」のクラフトマンになることが決定したのだ。N君がギターを持ってきていたので、借りて俺も一曲披露。ご存知、「夫婦蛸」(笑)。ああ、やれば必ずウケるとは、なんて便利な曲なんじゃい。
スタジオ生ライブ決行! (2004.04.06)

朝イチ、デザイナーK氏とバスセンター3Fにある某ショップへ行き、組み立て式小型仮設店鋪の納品を手伝う。今回俺がネーミングを担当した「ぞっこんイカ(さきいかである。笑)」なる商品専用の店鋪である。K氏が店鋪設計のエキスパートであることは知っていたが、ひとりでも簡単に組み立てられるマツ無垢材仕様の実物を見て、思わず唸ってしまった。さすが。
クライアントに組み立て方のレクチャーをしたあと、新規HPの企画案をプレゼン。こちらもなかなか好評。しかも新商品開発にも関わることになりそうな気配。

本日のラジオ、スタジオにリズムマシン、電池式小型ギターアンプ、ギターを持ち込む。リズムマシン+ギターアンプで「ラップ交通情報」を、また、ギターでスタジオ生ライブをやらかすのである。ラップ交通情報は、スタジオDJジャックのマンスリーゲストであるテディクマ氏にも協力してもらってまずまずの出来。生ライブでは「夫婦蛸」を熱唱。やった本人は面白かったのだが、リスナーの反応がコワイ(笑)。サラリーマン時代、オンエアの日は時間になると会社を抜けてスタジオ入りしていたため、たとえばこういうちょっと手の込んだセッティングは不可能であった。もうフリーランスなのだから遠慮はいらん、ガンガンいくど。
バローダの月、、、 (2004.04.05)

午前中、執筆に取り掛かる前に我が家の裏庭(比治山)に登り、走ったり、歩いたり。晴天にて、陽の光を受けた満開の桜がハレーションをおこして連なり眩しいほど。この世の光景とは思えぬくらい。走るのは久しぶりだけど、躰も軽いし気持ちエエ!日課にしよう。

南署にデンワして、あるブツを廃棄するための手続きを聞き出す。「ブツ」とはいっても許可を得ていれば非合法なものではない。しかし許可を得るためには国家試験を受けたり、病院で精神鑑定を受けたり、10年間に遡って犯罪履歴調査をされたり、家族構成を調べられたり、保管場所を定期的に申請させられたり、とんでもなく煩雑な手順を践まなければならなかったのに、手放す時は書類ひとつ。あっけないほどカンタン。今週中にカタをつけるつもり。

某弱小環境月刊誌にボランティアでまるまる2ページ分のコラムを寄稿し続けて何年か経つけど、このまま続けていいものかどうか思案中。言うまでもなく、こういう媒体の使命は「環境に興味のない人をどう取り込むか」である。同人誌になっちゃイカンのである。で、先日僭越ながら、ハッキリ言って強烈にダサイこれまでの表紙に変わる、新しいデザインフォーマットをデザイナーK氏の協力で提案させてもらった。結果、編集スタッフにあまりウケがよろしくないことを同じくスタッフであるS氏からデンワで知らされた。彼らは変わりたくないようだ。俺の考えを無理矢理押し付けるつもりはないけど、広告の仕事をやってきて「絶対にダメなやり方」というのはわかっているつもり。その「ダメさ」加減をいくら指摘しても認識してもらえないのならしょうがない。俺はさっさと身を引き、俺がイイと思う別の媒体で環境問題を発信したほうがよかろう。
わかってくれるヤツだけわかってくれればいい、みたいな卑小な発想で、俺は歌を歌ったり文章書いたりするのはヤだからね。大海原へ漕ぎ出していくような外に開かれた前向きな気概を、常に俺は持ち続けたい。そうしないと永遠にKンキキッズやSマップにゃ勝てん(あ、まだ言うとる)。

またまた新曲が降りてくる。タイトルは「バローダの月」。バローダの月っつーのは、マリー・アントワネットやマリリン・モンローにも愛された24.04カラットのイエローダイヤモンドで、これを身につけると富と名声を手に入れることができるといわれている。が、その反面、どういうわけか悲劇的な最後を迎えることでも知られている。ギターをモゾモゾ弾いていて、たまたま妙なコードを発見、その延長上で沸き上がったメロディーに、まったく出し抜けに「バローダの月の言い伝え」が覆いかぶさって来たのだ。とにかくすごくヘンな曲。コードなんかまるでわからんぞ(笑)。
心体育道花見会、、、怒りのウクレレ、、、 (2004.04.04)

N君から縮景園での観桜茶会の招待券をもらっていたのだが所用で行けず。かわりにオヤジ、オフクロに行ってもらう。

昼から、江波山公園での心体育道の花見に参加。年々、新しい顔がチラホラ。営利目的の団体ではないし、直轄道場もかなり手狭なので道場生が急激に増えることはありえないが、先生の目の届くこれぐらいの規模が一番いいのかもしれない。
春休みを利用して、心体育道オーストラリア道場へ約二週間の派遣指導に行っていたタクヤ君からいろいろハナシを聞く。「めっちゃオモロかったッスよ。小林さんも行けばいいのに」あまりに楽しくて帰国したくなかったらしい(笑)。高校生でのこういう体験は値千金の価値がある。若者にチャンスを与える先生もまた素晴らしい。

酒宴を離れて一人でしばし公園内をブラついてみる。桜、満開。ときおり強い風が梢を揺らし、泣きたくなるほど見事な桜吹雪。十数年前、竹本さんと知り合った当時、彼女はこの江波山の麓に住んでおり、サスケという柴犬を連れてよくこの山を散歩していたはず。その後、ダンナさんの転勤で静岡や北海道、福岡と廻って広島に帰って来て、、、その時はもうすでに闘病が始まっていたのだ。うん、桜っちゅうもんは、命を慈しむ気持ちを思い起こさせる花でもあるなぁ。

夜、家で某バラエティ番組を見ているとグレイシーのホイスが、ナイジェリア出身のタレント(?)とエキビジョンマッチをやっていた。挑むタレントのほうは真剣なれど、対するホイスは完全にお遊び。試合後の勝利者インタビューで見せたホイスの笑顔のチャーミングなこと(笑)。そうか、こういう笑い方するのか。彼の険しい表情しか見たことなかったので、ものすごく新鮮でありました。コワイ顔で威嚇するより、笑顔で相手の戦意を喪失させるのが武道の本質である。

続いてたまたま付けたチャンネルで超絶ウクレリスト、ジェイク島袋が出ていたので「おおっ!」ってな感じで画面に食い入ったが、ハワイらしき夕暮れのビーチに居並ぶ他のメンバーを見てギョッとする。アイドルグループのKンキキッズ、Y田拓郎(彼はまぁいいだろう)、AフィーのT見沢。で、Y田拓郎氏の「結婚しようよ」をみんなで演ろうということになる。まずはジェイクのイントロ、、、、ブラボー!これがウクレレから発せられる音かっ?!お次は、、、Kンキキッズの片割れのボーカル、、、ドヘタッ!!!つなげてもう片方のボーカル、、、キミ達学園祭かい。そんでもって拓郎さん、、、そりゃこの曲の作者だから悪くはない。そして出たやがったT見沢、、、ヒィッ、その声勘弁してくれ!!!!(爆笑)。まったくジェイクの演奏が台無しである。Kンキキッズの果てしないまでの素人芸(芸能人なんて呼び方すらどうなん?)、T見沢氏も苦労人であることは知っているけど俺は彼のパフォーマンスを受け入れることはどうしても出来ん。Sマップしかり。たしかにあの「世界にナントカの花」っつー曲はいい歌と思う。が、彼らの歌は「聴ける」レベルではない。もちろんヒットチャートを賑わせているのは彼らの責任ではない。それを熱烈に指示するオーディエンスが大勢存在するということだ。俺は音楽にかかわらず芸術には「破綻」が必要と思っている。しかし、その破綻は、魂がレッドゾーンに達しなければ現出させることができない領域。なのに余裕綽々で「音楽ってこんなもんでしょ」みたいなヌルイ演奏見せられたら、俺は黙っとらんぞ。拓郎サンも落ちたな。Y沢E吉なら、こんな連中とツルんだりはしない、、、、、などとブツクサ言いつつ、なんで今日はこんなにハラたつのか、冷静になって考えてみると、、、Kンキキッズの両名がメチャクチャ高価なウクレレを弾いていたからだと判明(笑)。俺のウクレレが数十本買える値段。あ、ちなみに俺がステージで使っているウクレレ、2万円ちょいだからね。くそぉ、見とれよ、俺もいつか?!
春は流れて、、、 (2004.04.03)

そろそろ新曲が欲しいのう、春のことを歌いたいのう、と思いつつギターをモゾモゾ弾いているとたちまち一曲降りて来た。例によって同じコード構成が延々と繰り返されるパターンのバラードだが、「なんか今までになかったメロディーラインですごくイイんじゃない?」とオタマ。

『春は流れて』

春は流れ 春は流れ
狂おしく 狂おしく
とめどなく とめどなく
巡りくる 巡りゆく

 刹那にひそむ
 天上への階(きざはし)
 闇は輝き 体は塵となり

またいつか 会おう 旅路の果てに
ただひとつの きみの名を呼ぶよ


花は咲き 花は散り
夥しく 夥しく
風は立ち 雨の気配
もう少しだけ もう少しだけ

 地平に霞む
 オリオンの三ツ星
 荒ぶる心に 一杯の水を

またいつか 会おう 旅路の果てに
ただひとつの きみの名を呼ぶよ

春は流れ 春は流れ
狂おしく 狂おしく

、、、、とまぁこんな歌詞である。去年秋からつい先日にかけて逝ってしまった友人達、駄犬ノリ、本日はオタマの実家の老犬メリまで逝ってしまい、「死」の意味するものを真正面から問い掛けられた。そのカンジが、春の狂おしくも切ないパラノイヤ気分と相まってこういう歌詞に結実したのだろう。だが、死は決してネガティブなものではないと信じる。死者も生者も、すべては繋がり、巡り往くだけだ。
Pステ花見 (2004.04.02)

昼前デンワでイコマユカと、彼女が新しく担当する番組に関する密談。カネになるとかならんとか、そんなんじゃなくまず「いかにおもろくするか」を中心線に据え、そこから縦横無尽に放射される俺らのベクトル。作為的というより天然的。

トレーナーの下にTシャツじゃ暑いと思い、タンクトップを着てみると、ありゃ、冬の間に上半身がちょっとゴツくなったかも。ウエイトトレーニングをガンガンやってるわけじゃないのに何故だろう。

心体育道を習いたいという、元フェザー級ボクサーの青年S君からデンワ。佐伯町在住なら湯来町の上岡道場がいいかも。先生に相談してみよう。友人のJさんも先日直轄道場の稽古を見学し、近々入門予定だし、S君も入門することになれば俺の紹介者は計6人目となる。どんなに非力だろうが運動神経がニブかろうが、稽古をちゃんと積めば効率的な身体操作法が身に付き確実に強くなれる。

もろもろの原稿仕事を片付け、夕方、平和公園近くの某公園にて、Pステーション主催の花見に参加。Nさんという初めて見る気さくなオッサンとなんとなく意気投合し、酒を酌み交わしながらワイワイやってて、ふと、なにかの拍子に彼からもらった名刺に目を落とすと肩書きに「放送局長」とある。そうか、彼がPステの新しい局長なのか(笑)。PステでのFMDJも今年で5年目?開局から世話になっている俺は、Pステの歴史の生き証人だったりして。
心体育道DVDビデオ編集終了! (2004.04.01)

昼より、市内某ビデオ制作会社にて、心体育道DVDビデオの編集。先週収録した俺のナレーション、ジーニアス沖井作曲による珠玉のサウンドトラック&SEをいよいよ映像に被せていくのである。今日の俺はディレクター。これが決まらなければ、すべての苦労も水泡と化す。緊張するなというほうが無理。が、ずぇったいにうまくいくんじゃい!そんな確信があった。オペレーターのO氏も切れ味よくスマートに捌いてくれ、作業開始から5時間後、武道ビデオの歴史に残るプロモーション映像が仕上がった。どこらへんがどうスゴイのか、ここで語るのは控えたい。とにかく買って見て欲しいのだ。廣原先生もコーフン気味(笑)。世界が注目する一流の武道家とのコラボレーション、俺にとっても素晴らしい経験をさせてもらったと思う。なにしろ、俺自身が心体育道の黒帯であるのだから、俺しかできないディレクションというのもあったりするのだと言わせてくれ。くどいようだがマジでスゴイ。まさに世界デビューだぜ。あーこりゃこりゃ。
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