Far East Lounge 三代目春駒小林一彦オフィシャル 小林一彦イラスト

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2004年02月の日記

バイアグラ的宴? (2004.02.29)

もうすでに曜日の感覚が喪失。「はっ、日曜か?!」てな具合。

夕方、牛田のデザイナーK氏のアジトをデザイナーM君と訪ね、春の総決起集会。いや、マジで俺ら3人でチームを結成し、デザイン業界を震撼させる程のアクションを起こそうという算段である。会議は白熱し、気が付けば俺はK氏の長女(7ヵ月)を相手にレロレロバー(笑)。ダイジョーブか、春駒ちゃんよ?
3.20平和集会 (2004.02.28)

昨夜の送別会では愛器テイラーで3曲程熱唱した(しかし自分の送別会で歌うなんて考えてみればミョーだ)のだが、テイラー君、完治したわけでもないのにゴゥンギャウンシャキシャキーン!とまぁ実によく吠えやがる。この音の立ち上がりの良さは他の追随を許さんぜよ。パチパチパチ!
ところで「弦は何を使っているんですか?」とよく聞かれるのでお答しましょう。タカミネのライトゲージ「TL-3」。3セットでたった1000円のヤツだ。安いから使ってるんではなく、実にブライトな音色が気に入っている。ただし、寿命は短く「ヒトヨタケ」のようにたった一日で音がしょげてしまうのが難。以前はミディアム&ヘビーゲージの混成(1、2、6がミディアムで、その他はヘビー)を永らく使用していた。しかしこれではストロークにかえって力が入ってしまい、結果、弦がますます切れることが判明。気付くのに一体何年かかっとるんじゃい!とまたしてもチューピー梶山にツッコまれそうだが、ライトに戻して2年、以来ステージで弦を切ったことが一度もない。

先週のジャイブのライブに来てくれた女性Iさんから、3月20日に原爆ドーム周辺で開かれる「街にでよう!NO WAR の歌を響かせよう!」という反戦平和イベントへの正式な参加要請がメールで届けられた。予定では3000人集めようということらしい。なんと、Far East Loungeはメインゲストとしてのお招き。ちなみにこの「3月20日」は、イラク戦争が始まった日。東京の日比谷野音での「WORLD REACE NOW」とも連携プレーで、こちらは5万人規模とのこと。昨年の「NO WAR,NO DU」人文字メッセージには「文字の一部」として参加したが、やはりミュージシャンとしては「歌」でメッセージを伝えたいという思いが強かった。喜んでお引き受けさせてもらいます。ヨシオジイチャンよ、原爆ドームの下、大勢の聴衆を前に「その男ヨシオ」を歌う日が案外早く来たぜ。原爆ドームからならジイチャンの墓(ドームから数十メートルの西向寺にある)にも充分俺の声が届くだろうから、しっかり聴いとってくれよ。っつーか、廃虚から立ち上がったすべての人々に捧げる歌じゃけぇ、気合い入るです。

夜、市内某所にて心体育道黒帯飲み会(笑)。もうすでに夏の合宿の日程が決まっちまったりして(爆笑)。
送別会 (2004.02.27)

夕方、じぞう通りの某フランス料理店にて、俺と後長さんの送別会が催される。30名近い参加者で貸し切り状態。思えば11年前の入社当初のスタッフはたったの5人。コピーライターは俺一人だけで、十数件の仕事を同時進行でこなしていたのがいまだに信じられない。35才までは、毎日が仕事漬け。その後はスタッフがイッキに増え、時間的な余裕(少しだけだが)も出来てシーカヤック始めたり、心体育道に入門したり。組んだデザイナーは皆、一流であった。最初は現会長である宮田氏、それから坂本君、岡君、水君、中本君、西山さん、広藤さん、見正君、坪井君、、、、彼らへの感謝の気持ちはとても一言では言い表せない。ただただ感謝。

リサイクル家族 (2004.02.26)

脱サラ初日(笑)。早速、恒例の某TV番組ダイジェスト原稿を執筆。am11時にとりかかって、昼食を挟んでpm3時には仕上がり、メールで送ったらあっけなくフィニッシュ。あとは映画を見ようが、寝てしまおうが、ギター弾こうが勝手にシャラララなのだ。いい。じつにイイ。ってこりゃ油断ならんな。自分の鼻先にニンジンをブラさげる必要がある。でも、、、、つい、頬が弛んでしまう私。

実家に行き、オフィスから持ち帰った本等の分別。ついでに再び独身時代に着ていた服の整理(俺はけっこう衣装持ちなのだ)。この数週間、頻繁に手をかけたとは思えぬほど一向に片付く気配無し。それに、先週ゴミとして出したはずのトレーニングジャージやベストを、ふと見ればオヤジやオフクロがそしらぬ顔で着ていたりする(笑)。よく見れば捨てたコミック類も「喫茶こばやし」に並んでいるではないか。そのハナシをオタマに話したら「私も実家のお父さん用に作務衣とセーターをもらった」と言う。、、、、、まぁ、いい。

夕方、独り稽古と軽めの筋トレ。なんとゆったりとした一日であることか。そしてこれまでなんと非人間的で不健全な10数年間を過ごして来たことか。なんのために働き、なんのために生きる?至極当然のテーマにこの国の人間達はあまりにも無関心、無頓着である。そのような疑問を抱くこと自体が「ヒマ人の発想」と嘲笑されてしまうのだ。あ、俺も今日からヒマ人じゃん。ヒマジン・ノー・ヘブン?いや、ヒマジンこそがイマジンである。なんのこっちゃ。イマジンで思い出したが、今、俺んちの裏庭(比治山)の現代美術館でオノ・ヨーコ展やっておったな、明日でも行こっかな。
祝・脱サラ記念ライブ (2004.02.25)

朝イチで呉警察へデンワ。こういうことは放っておかず、早めに調べておいた方がいいのだ。昨夜の事件の担当者が居たので詳しい状況説明を求める。最初から氏名詐称であることは気付いていたらしい。その他にも警察サイドから話せる範囲内の事をできるだけ詳しく教えてもらう。当然俺には知る権利があるからね。なるほど、免許停止の身でありながらの運転、長時間の違法駐車、さらに相当量の飲酒、あげくの氏名詐称、、かなり悪質である。結局、留置されることだけはまぬがれ一旦自宅へ返したとのこと。人は誰でも過ちを犯す。俺だってそんなにリッパな人間ではない。ひとりの弱い人間にすぎない。誰かを裏切ったことだってある。果たして、俺は彼を赦せるのだろうか。赦せる人間でありたい。

そのあとオフクロへデンワし、俺が警察から聞いた内容を簡単に話す。これで事件の状況が整理され、かなりハッキリしてきた。「今度あの人(自称小林氏)に会うたら、力になってあげれんでゴメンね、と言うてあげて」とオフクロ。息子(つまり俺)が罪をなすりつけられようとしただけでなくヘタすりゃ自分が事件に巻き込まれる可能性もあったというのに、人を思いやる気持ちを忘れない、なんという大きなオフクロだろう。この人は昔からそうなのだ。胸が熱くなった、、、、。

と、出社してしばらくしたら当の本人「自称小林」からデンワ。「詫びたいことがある」という。それで事件のあらましをボソボソ説明し始めたのだが、これがいただけなかった。彼は知らなかったのだ、昨夜はオフクロから、今朝は呉警察から、俺はもうすでに詳細を聞き出し状況を把握したあとであることを。それに照らし合わせてみると、彼の釈明は恐ろしいことに、すべてがデタラメだった。もし、オフクロや警察の証言を聞いてなかったらと思うとゾッとする。ウソをさらにウソで覆い隠す、二重の騙し。よって、彼は反省などしていない、と判断。「オマエは何故、自分のしでかしたことと真剣に向き合わんのや?オマエはまず俺を警察に売ろうとした。次に俺の家族も巻き込んだ。そして今、自分の正統性を主張するために再びまったくデタラメの作り話をしゃべった。この事実をまずは認識せぇ」。赦すも赦さないも、まずはそこからだ。無期限で彼を近付かせないつもりだ。

さて、そんなことはどうでもいい。俺もメデタク退社の日を迎えた。スタッフにサヨナラを言ってビルを出ると、春の艶かしい夕暮れ。「会社を辞めビルを出た途端、自由の風が私を包んだ、、、」たしか丸山健二のエッセイ。今日の風も、また格別なり。

夜、ジャイブにてライブ。リハの準備をしていると、久保直樹が俺のオフクロにプレゼント(笑)するCDを持って来てくれる。今年は久保とまた沖縄でシーカヤック乗るど〜!
ライブ前半は俺一人のギター一本弾き語り。客もまずまずの入り。来てもらってありがとうござんす!セットリストは「イマージュ」>「もう一晩おまえと」>「トラベリンマン」>「どうじゃい」>「桜吹雪」>「つかのまの天気雨」>「Don't think twice,it's alright」>「雪だるま」>「Positive」>「往く道は、風」(順番は記憶が曖昧)。結局、調子が戻らないテイラーを諦め、オベイションをしかも座りのスタイルで弾いたため、ギターがしっかりホールドできず(このオベイションはボディが極薄のシャロウボウルで滑りまくる!)四苦八苦。最後までビートが出せないまま終了。やはり俺は「立ち」だな。

後半はいつものFar East Lounge。当然、立ち。気持ちのいいグルーヴが出せる。セットリスト、「カプチーノもう一杯」>「黒いストッキング」>「Get closer」>「ルフラン」>「月の道(梶山ソロ)」>「UMIKAJI」>「その男ヨシオ」>「星の波間に」>「テビチ記念日」>「夫婦蛸」>「ひかりのうた」>アンコール:「ぴぴららOne Love」。ステージ終了後、3月後半に市内で開かれる3000人規模の平和集会で歌って欲しい、と一人の女性からオファー。毎回、繋がっていくカンジがある。
アルマジロの真相、のち、自称「小林一彦」事件 (2004.02.24)

自宅に持ち帰る書類や本、その他細々としたモノを段ボール3箱(でもまだじっくり見直すと荷の半分以上ゴミの可能性大)にまとめて撤退準備完了。明日、午前中にクルマで運んでしまえば、おしまい。ガランとしたデスクを見つめていると、一抹の寂寥感、、、など一切無いのだなこれが(笑)。新しい船出に心踊るばかりである。

「約束なんてねぇ、明日死ぬかも知れないわけだし」と、山口洋氏も言っていたけど、俺も結局今この一瞬をどう過ごすか、味わい尽くすか、それしかないと思うのだ。サクセスよりハッピー、それにはまず身軽になることだ。よっしゃ、明日は勇造師匠の「走れアルマジロ」も歌おう。

たったひとりのよそ者になって
気ままに暮らせたら
新しい名前 もひとつ持って 声も変えたら
約束なんかひとつもせずに
気ままに暮らせたら
なんかしないとすまないときは
またバスに乗って

手紙を破り日記を燃やし
着慣れた服も捨てて
ポケットにはチョコレート1枚
欲しかったら持っていけ
越えられなかった朝と
燃えなかった夜を残し
春よ吹け吹け 嵐を呼べ
明日死んでもいい

『走れアルマジロ』by豊田勇造

こんな深〜い曲を20代半ばで書いた勇造師匠、実にフケとるのぅ!(笑)いや、名曲です。余談であるが、俺はタイトルにもなっている「アルマジロ」とは、俺が幼少の頃、たまに市内で見かけた「ボンネット型バス」のことだとてっきり思い込んでいた。だってモコモコしたカタチがアルマジロそっくりでしょ?数年前、そのことを勇造師匠に確認したところ「いや、バスやない。ズバリ、アルマジロのことやで。昔、チョコレートのCMでアルマジロ走るの見たことあるんや。アルマジロって『ほれ、走れ走れ!』みたいな、つい応援しとなる可愛らし〜いチョコチョコ走りするやろ?」、、、、そんなのイヤだ(笑)。まぁ俺の解釈ではあくまで「バス」ということで、、、、、。

本日のラジオ、6時台はせっかくだからHEAT WAVE特集(笑)。こういう時、ディレクターもオペレーターも兼ねている俺はすごく便利でハナシが早い。やっぱり人生もラジオもあれやこれやも「シンプル」が一番よの。

放送終了後、実家の「喫茶こばやしスタジオ」にて約1時間明日のライブに備えてウォーミングアップ。
10時頃、自宅に帰りメシ食ってるとオフクロからデンワ。ややうろたえ気味。「たった今、呉警察からデンワがかかってきてウンヌン」。状況を要約するとこうだ。 オマワリさんによると、「呉市内で長時間に渡り極めて悪質な駐車違反をした人物を現在取調中だが、彼は昭和37年10月25日生まれの小林一彦と名乗っている。デンワに出て声を聴いて本人かどうか確認してほしい」っちゅうーか、ほんの10分前まで我が息子は「喫茶こばやし」にてギターかき鳴らして吠えまくっていたばかり、どうやって呉まで?空でも飛んでったのか(笑)。ややあって、電話口に自称「小林一彦」が出て何事かボソボソ。俺のオフクロでも自分の息子の声かそうでないかぐらいはわかる。しかも彼は蚊の泣くような声で「今は一彦ということにしといて」と懇願したらしい。再びオマワリ氏「お宅の息子さんですか」「違います」「やはりそうですか。じゃ、だれかわかりますか?」「わかります」「氏名詐称で逮捕の可能性もありますので、彼の本当の名前をおっしゃってください」「それは本人に訊いてくださいませ」。それでデンワを切った、とオフクロ。自称「小林一彦」氏は、俺が昔よく一緒に飲み歩いていた同級生であった。覚えやすい俺の生年月日と実家の電話番号。罪を逃れるためにパニくって咄嗟に口にしたのだろうが、俺の名を名乗り罪をなすりつけようとしたことより、オフクロに嘘の証言をさせようとしたことにハラがたった。というより、この哀しさはなんなのだろう。
必然的偶然 (2004.02.23)

昨日、アジア最高のロックアーティストとして敬愛するWEAT WAVEの山口洋氏と会って飲んだけど、思い返せば、俺はこれまで会ってみたいと思った人物には絶対に会えているな。袖触れ合うもナントカというが、実際のところ「縁」も「偶然」ではないと俺は思う。時が来ればちゃんと会える。

夕方、デザイナーK氏と某食品会社代表をたずね、打ち合わせ。終了後、K氏と茶。あれヤリたいこれヤリたいがバンバン出てくる。暴れまくりたいス。近々、デザイナーM氏も交え、『春の総決起集会』を開くことにする。会場は例によって中華料理屋がよかろう。
千田わっしょい祭、雨のち山口氏。 (2004.02.22)

かなり酔ってこれを書いていまふ。支離滅裂をお許しくだされ。

「雨が降ってもやるど」とツンチャンよりデンワ。12時に広大跡地へ。フリマの屋台が立ち並び、かなりの賑わい。ラムジー氏がすでにエエ感じで演奏している。なるほど、これが「千田わっしょい祭」なのか。ラムジー選手終了後、Far East Loungeもすぐにセッティング開始。ミス・ウーノもソプラノSaxで入ってくれることになる。用意が整うと、「雨が降りそうだからすぐにやってくれ」とのこと。っつーか、もう降ってますぜ(笑)。クモの子を散らすがごとく客がどんどん逃げ去るのをボーゼンと眺める俺達。しかしまぁ、たいてい曲順など深く考えずにステージにあがる私であるが、本日はサイコーに考えていなかった。で、まったくの思いつきで歌いはじめる。「カプチーノもう一杯」>「黒いストッキング」>「どうじゃい」>「ひかりのうた」>「UMIKAJI」>「その男ヨシオ」>「テビチ記念日」、、、、そしてナント、アンコールがきよった!「ぴぴららOne Love」をやらせてもらう。思えば、俺が産まれ落ちたのはここ、千田町(ナントカという産婦人科)。そして「その男ヨシオ」こと、祖父、濱本ヨシオが被爆直後に家を建て始めたのも千田町である。小学校の夏休み、従兄弟達とヨシオの家に泊まり込み、朝は日赤の駐車場でラジオ体操やったのが懐かしい。千田町は第二のホームグラウンド。気持ちよく歌わせてもらいました。ありがとう。

夕方、HEAT WAVEの山口洋氏のインストアライブinタワーレコードを聴きに行く。ほぼ真正面、約2メートルの距離で、アコギ一本の山口節、素晴らしかった。一番会いたかったシンガー。かなり満足し、アステールホールでの「オペラルネッサンス」公演を終えたオタマと待ち合わせ、フジをブラついているとナカハラヒサロオ氏よりデンワ。「ヒロシと飲んでる。すぐ来い」。で、オタマと帝劇会館の某バーへ。ナカハラさん、福岡時代に山口氏と交流があり、こうして会うのはほぼ10年ぶりらしい。山口氏の横に座らせてもらっていろいろ話し込む。オタマを先に帰らせて二次会にも参加。山口氏、かなりプライベートなことまで聞かせてくれたので、ここに書くのは控えさせてもらおう。ただ、想像以上にいいヤツであった。「会えた」という手ごたえがあった。実のところ、近々会えそうだ、という予感がしていたのだ。彼には失礼かもしれんが俺とかなり共通項がある。かなり酔ってしまったのでお先に失礼させてもらう。山口クンよ、次回はシ−カヤック乗せてあげるけんね。
テイラー退院、新しい蹴り、NYからのメール、、、 (2004.02.21)

愛器テイラー退院。K楽器店の修理でなんとか使用に支障のない程度に回復。で、K楽器店にあったテイラ−の新作を弾いていると、、、いいのがありますですのう(笑)。勘弁しとくれやす!

夕方道場。鍛練法のオンパレードでなかなかキツかったぜよ。しかし、腹筋、背筋、腕立て伏せを各100回、難無く出来てしまう40代の兄弟子も俺もなかなかのオッサンである。先生から新しい蹴りを教わる。トリックキックみたいに至近距離外から伸びてくる蹴り。名前はまだない(我が輩はネコ?)。

昨年よりNYはハーレムに旅立ったシンガー、サナエチャンからメール。彼女、数年前も単身かの地へ渡り、道場破り的にライブスポットを攻めまくって観衆を沸せた豪傑。一体どこまでパワーアップしていくのか。げに俺の友人達は道なき道を突っ走る魂の冒険者ぞろいである。冒険者と言えば来週水曜日に迫った俺の退社の日に行われるライブの「第一部:ギター一本コーナー」で、旅の歌をメインにやろうと思っている。俺にしては珍しく洋楽のカバーも一曲。日本語歌詞に直したけど(笑)。
おホネ様、、、 (2004.02.20)

なんだかいきなりぬくぅなりました。日曜の千田わっしょい祭にはアロハシャツで出ようかね。

数日前にも書いたけど、春先は心身共に毎年トラブル続出の私。夕食を食っていてそれは来た。サバのホネが咽にひっかかりあそばされたのだ。ゴハンやゴボウを丸のみしてみたり、いろいろやったがダメ。ううっ、いつまでたってもサカナの食い方がヘタ。きょうははよ寝るです。
粘膜主義 (2004.02.19)

出勤前、K楽器店へテイラーを持っていく。店長、「うーん、このビビリはフレットだねぇ」ってホンマっすか?リペアショップはブリッジだと言うておった。どっちがどうなん?そもそもここで買ったんだから一応預けることに。あ〜どうにもスッキリしませんなぁ。

昨夜のTV番組。「アナウンサーが発音しにくい単語ベスト10」ちゅうのうを特集していたけど、「高速増殖炉」「栃乃洋などの、、、」「出場させ」などがランクインしており、実際に著明なアナウンサー何人かに言わせて実験していたけど、某局アナウンス部長氏もカミカミであった。俺はなんとか言えたぜ。俺が通ったRCCアナウンススクールの同期の連中だってこれくらいほとんどが言えるハズだ。当たり前だが講師の故 室井セイジ先生以下、厳しい特訓で知られるRCCアナウンサーならみんな問題無しと自信を持って断言できる。つまり、実験に参加したカワイイだけの女子アナもベテラン(?)アナウンス部長も、この局のアナ全員が異常にレベルが低いということになる。

レベルが低い、で思い出したけど、先週末、能美島の西原加工水産のオヤジさんと能美ロッジで昼食食いつつ牡蠣談義をしておった時、俺らのテーブルの横で酒呑んでいた白髪フサフサのジイサマが突然割り込んできた。「あなた(西原氏)は、牡蠣業者さんとお見受けいたしますが、ちょっと質問がございまして、、、」となんやかや質問したあと、今度は俺とOカメラマンに向かって「あんた達はおそらくマスコミの人間でしょ?山が豊かだから川が潤い、そのおかげで川が流れ込む海にプランクトンが増え、結果、牡蠣がよく育つ。そういう循環のシステムが全然わかっていないんだマスコミは!」などとひとしきり演説をぶって去っていった。
俺が8年も前からボランティアで毎年春に太田川源流域で植林作業(思えばオタマとの初デートも植林であった!)をやったり、「環太田川」という太田川専門の環境保全月刊誌に、創刊当初から無料で寄稿しているのも知らんのだから、それこそハナシにならん無礼千万なジイサマであったが、モンクを言いたい気持ちはわからんでもない。俺のような「現場主義」をクソ真面目に貫くタイプは仰せの通り、広島のマスコミ、広告業界にはほとんどいない。俺もギョーカイ人特有の横柄な態度が気に食わないほうだから、自分はそうならんよう、編集が上っ面で終わらないよう、そしてなによりも「ヤラセ」にならんよう、まずは自ら現場へ足を運び、現地の人と同じ目線で考えることを課してきた。もちろん先入観に陥らない程度の予習もしていく。たしかに一見メンドーではあるが、そこまでやらないと「放送」あるいは「執筆」する資格は無い。相手にも失礼。たとえ一行、ワンコメントでもいいから、現場で自らが体験した確かな感触を語るよう努力すべし。食い物のレポートで「とても美味し〜ですぅ」などとありきたりの白痴的リアクションしかさせないディレクターにはレッドカードだ。俺もTV見たりラジオ聴いたりしていて放送する側のツメの甘さ、紋切り型の工夫なき報道スタンスにイライラさせられることがすごく多いもんね。俺はこれからもダイレクトな「粘膜感覚」を大事にしていくでちゅよー(@^o^@)。しかし、スティングさんが、いっつもコンドームせんのは感心できませんのう?!
強化プラスチックの歯 (2004.02.18)

午前中、例の歯科へ。強化プラスチック製の高いヤツを被せてもらう。これでこの歯科とはスッパリ縁が切れることを希望いたします。「日報」を読んだ不動産業者のTさんはじめ、いろんな方から良い歯医者の情報をいただいた。ありがとうございます。

退社が一週間後に迫っている。俺の野生の嗅覚が確かなら、人類の価値観に大変革を強要する未曽有の『嵐』がそこまで来ている。ウイルスか?食糧危機か?大恐慌か?大地震か?戦火の拡大あるいは新たな戦火の勃発か?どれか一つということはない。2つ3つまとめて来やがるはずだ。けど、アクションを起こすなら今なのだ。あくまで大樹(そんなものは幻想に過ぎないが)にしがみつこうとする連中は、あっけなく屠ふられるであろう。逆風?そんなもん得意のジグザグ走法で愉しめばいい。俺のずっと先に伸びてゆける新しい「チンコ」を昨日ビデオで確認したから、俺は安心してますます捨て身の覚悟也。「その男ヨシオ」の心意気。

夜、先生宅へ。先生の従兄弟のY夫妻らと呑む。Y氏、世界的に有名な指揮者。東京を拠点に、全国を飛び回っておられる。
先生にサントラの追加分2曲を聞いてもらう。かなり気に入ってもらえた様子。はぁ〜、あとはナレーションかぁ(苦笑)。
早くもツクシ発見、、、 (2004.02.17)

プランナーのG氏から、「おまえの『テビチ記念日』をCFのBGMに使いたい」とのデンワ。「ナンボくれるんや?」「すまん、ないんじゃ。そのかわりテロップ入れるけぇ」。まぁ、流す期間が短いので許してやる。

オタマが朝イチで産婦人科。と、1時間で戻ってきた。コタマをビデオで撮ってもらったという。そして、、、どうやら「付いていた」らしい、ツクシが。早速ビデオを見ると、せわしなくクリンクリンと動き回るコタマ。心体育道の金魚運動みたいなことも見せてくれる。おおっ、確かにリッパなモノが付いておる!マジでデカイ。ツクシというよりタケノコだ。断定できるのはもう少し先になってかららしいけど、こりゃもう、どう見たってチンコですよ。そして、コタマのツラがまえ。吹き出すほど俺にソックリ。すごく聞き分けなさそうなのよ。「我が道を往きまする」と顔に書いてある。こやつもまたジグザク屈折人生を歩むのだろうか。でも心はまっすぐいけよ。

ゴク楽クッキングロケで昼からそごう地下食品売り場へ。今回は平日なのでどんなものかと思っていたけど、ギャラリーはやはり極端に少なかった。それにしてもオカラで作った餡。またしてもあっぱれである。

本日のラジオ、ゲストは歌舞伎や文楽の三味線奏者として活躍中の野澤松也氏。広島出身。その世界ではいわゆるトップランナーで、歌舞伎公演ワンクール25日間は当然千秋楽までずっと出ずっぱり、あとの五日間は次回公演の稽古、、、つまり、ほぼ一年間休み無し。今回の3年ぶりの帰郷は、二葉の里にある東照宮での奉納演奏。ふだん、ほとんど接することのない業界の方にて、なかなか貴重なお話がうかがえた。
狂気の桜、、、 (2004.02.16)

オタマの熱も下がり一安心。出勤の朝、街は一層春へシフトしているのを実感。

実はこれからの季節が一番苦手。なぜだか毎年、身も心も千々に乱れるのだ。交感神経と副交感神経の役割が入れ代わる時期でもあるから?白昼夢をみたり、幻聴のようなものがあったり、これが桜が散り始めるあたりまで続く、、、俺も桜は美しいと思う。と、同時にコワイ。俺にとっては狂気のシグナルでもある。
一般的に目にするのが多いのはいわゆるソメイヨシノであるが、これは江戸時代末期に突然変異で生まれたもので、現存するすべてのソメイヨシノはそのたった1本から人工的に分化されたクローン。だからソメイヨシノは生殖機能を持たない。俺は10数年前の深夜、霧雨の降る中をひとり、比治山の御弁殿広場に登ったことがある。当然人影は見えず、閑散とだだっ広い公園一面、妖艶に咲き乱れた数百本のソメイヨシノが、水銀灯と霧雨に滲みハレーションをおこしてボウッ、と浮かび上がっていた。マジ、ビビった。何故か本能的に「圧倒的な不自然さ」を察知した。サクラが俺を見ている。しかし、それは複数でありながら意識は一つでしかない。あとでソメイヨシノがクローンということを本で知り、その気色悪さの原因を理解した。
自然界は「多様性」で生き残りを謀ってきた。雑種交配を繰り返すことで適応力、免疫力を高めてきた。「みんなおんなじ」これほど無気味なことはない。
ハナシがかなりオーバーランしたけど、春先の俺は神経が過敏になり、天国のような甘い微睡みのなかに巣くう、禍々しい狂気を見抜く。いや、見えてしまう。それなのに、ああ、それなのに!花見ときけばたちどころに舞い上がり、何を差し置いても駆け付けたくなるのはどうしてだ?!

ジーニアス沖井が、心体育道の新作ビデオに使う最後のサントラを仕上げてくれた。感涙。沖井君のアドバイスもあって「The Spirit Of Samurai」と命名。鉄分たっぷりのハ−ドロック仕様。しかし問題はこれからだ。映像とどう擦り合わせしていくか。ナレーションが入っただけでもずいぶん雰囲気も変わる。
ギター一時退院 (2004.02.15)

俺と入れ代わりに風邪をひいて寝込んでしまったオタマの為に、アイスノンやら冷えぴたシートなどを買いに行く。

リペアショップへテイラーの受け取りに。3弦ビビリの原因はどうやらブリッジにあるようだ。弦が半分めり込む程削れてしまっている。一瞬迷ったが、取りあえず今回は一度持って帰ることにする。ギターは俺にとっちゃぁ武士の刀、よっぽど信用できる所じゃないと任せる気にならん。フレットの打ち替えを頼んだのは、ここのリペアショップがその仕事が上手いと聞いたからだ(確かに上手かったし安かった)。例の「歯」の一件があってから、ますます慎重になってきた。広島にはギターショップはかなりあるけど、売った後できっちりオーバーホールまで出来るまともなリペアマンがおらん。こればっかりは「そこそこのテク」じゃ困るのだ。
広島牡蠣は今が旬、、、 (2004.02.14)

朝8:20に広島港でカメラマン0君とそのパートナーと待ち合わせし、高速艇で能美島の西原加工水産へ。WEBTVで、広島牡蠣の本場へ潜入取材を敢行するのである。あいさつもそこそこにイキナリ牡蠣打ち場へ。テレビでは何度も見たことあるけど、実際に立ち入るのは初。水揚げされたばかりの牡蠣がベルトコンベアーで打ち場へ運ばれ、待機していた打ち子さんが黙々と殻と身を分けていく。きょうはかなり暖かいけど、壁は一面が海へ向けて開けっ広げだし、ベルトコンベアーから海水の飛沫が飛び散るし、寒い日は相当こたえるだろう。
取り出された身は、たいていなら機械で自動的に大きさを選り分けられて洗浄の後、やはり自動で袋詰めされる。ここは違う。なんとオヤジさん(西原代表)自ら、一つ一つ、目視と手動で選別するのである。一日の水揚げされる量を考えれば、これは気の遠くなるような作業。以前、一度は機械化したものの、やはりそれでは微妙な選別は不可能との理由から、この手作業に戻ったと言うのだから見上げたものだ。「そのほうがお客さんも喜んでじゃけぇね」とオヤジさんまったく屈託がない。彼の、慣れてはいるが慎重な「儀式」を拝見しながら、牡蠣の興味深いお話も聞かせてもらうことが出来た。牡蠣はヘラ(業界用語で吸水口のこと)でその産地が判別できる。黒いのがいわゆる広島産。赤い(白っぽい)のは宮城産。中間は広島産・宮城産との雑種。広島産は身が小さくプリプリと引き締まっている。宮城産は大きくなるがやや水っぽい。内臓が表皮に黒く透けて見えるのは「腹黒(はらぐろ)」と呼ばれ、高級パックからは外される(味には別状なし)。一般的に牡蠣は正月前後が旬と思われがちだが、水温がさがりプランンクトンが増えるこの2月一杯こそが本当の旬etc。その道の匠から得る物は大きいぜよ。
撮影のクライマックスは、俺がこちらの若旦那と、とれとれのカラ付き牡蠣を炭火で炙ったヤツをパクつくシーン。味付けは、まんまの海水。ハフハフと口に放り込んだとたん、潮の香りがいっぱいにひろがり、牡蠣の新鮮な旨味がじゅわっと、、、、旨くないわけがない。奥さんにすすめられるまま一気に10個も平らげる。ごっつぁんでしたあああっ!
しかもオミヤゲに、ここに書くのも憚れるほど大量の牡蠣をもらっちゃって。マジ、いいのでせうか???

夜、先生宅で食事会。西原加工水産でいただいた牡蠣の一部を進呈。国内DVDと共に、アメリカのDVD業者による欧米版の制作も進行中(収録は一昨年)。そのサウンドトラックに使う候補曲が送られて来ており、俺も聞かせてもらったが、これはもうサム・ハン・キンポーかジャッキー・チェンの世界であった(爆笑)。欧米人から見ると日本人もチャイニーズもひと括りにされてしまうのか。二胡やジャンをここまで使われたらギャグ以外の何ものでもない。で、先生、強く拒否されるそうだ(笑)。
ラスト・サムライの逆襲 (2004.02.13)

心体育道のプロモーションビデオ2004年版に使用する、追加サウンドトラック(あと2曲)をジーニアス沖井が作ってくれている。本日オフィスでそのうちの1曲を聴いた。ブラボー!!すんばらしい出来栄。廣原先生の名前をとって勝手に「MAKOTO」と命名。「MIYAJIMA」「MUKYOKU」「MAKOTO」ときて、ラストがどうなるのか楽しみ。おっと、俺もナレーションの練習も大詰め。これが一番心配(笑)。

お片付け絶好調。デスク横のスチール棚が2/3ほどカラに。雑誌や資料も思いきって処分。気持ちヨカ〜。来週中にはデスクの上や引き出しの中身も片付くだろう。

「屈折日報(1/27)」にて、洋式便所に座ってシッコする男が増えている現状を嘆いたが、日光の盟友AKIRA氏が、今月11日のダイアリーにこんなことを書いているのを発見した。

<立つべきか、座るべきか、それが問題なのだ>
 スペイン時代に、友人オメロの家に遊びにいったときのことだ。
 オメロは身長190センチの堂々たる体躯、仁王のように彫り深い顔、道ですれちがうと誰もがよけてしまいそうな威圧感がある……オカマだった。
 彼が話し出したとたん、みんなひざが崩れる。どんな女性よりもやさしい女言葉、恥じらい深いしぐさは、ヒマラヤの頂上からワイキキビーチに直滑降するほどのギャップがある。
 オメロの繊細な手料理をご馳走になり、トイレのドアを開けると、仁王が座っていた。
 「いやーん!」という耳をつんざく叫びにあわててドアを閉める。
「すぐはいってもだいじょうぶよ、おしっこだから」
 トイレから赤い顔で出てきたオメロが言った。オレはカルチャーショックを受け、立ちつくしていた。
「ゲ、ゲイは座っておしっこするのかい?」
「やん、あたしだけよ」

 インドやパキスタンでも男はクルタというすその長いシャツにひざをくるみ、しゃがんでおしっこをする。
 友人のドイツ人男性は奥さんや娘に「汚さないで」と怒られるので、トイレに座っておしっこをする。
 ショックだったのはトイレ製造会社トトの実験だ。
 アンモニアに反応する青焼きの紙をトイレに張り、男性被験者に立ちションしてもらうと相当量の飛沫が床に壁にまき散らされるのだ。トイレ用の壁紙や床板は尿が落ちやすいように設計されている。
 トトの統計では、日本人男性の14.3%が小便を座ってするそうだ。おもしろいのは、座りションする男性の奥さんの70%がそうしてくれとたのんでいるわけではないという。
 うちのトイレにはいった人はみんな驚く。
 網走刑務所で買った「保釈中」というサンダルのせいじゃなく、御影石の砂利が敷きつめてあるからだ。オレとしては龍安寺の石庭のように風流をめざしたのだ。
 ネアリカン560名がひとり2回として、うちのトイレで用をたした回数は1000人分くらいあるだろう。しかし砂利だから掃除機はおろか床も拭けないではないか。
 砂利をザルに回収し、大谷川のせせらぎで洗い、日陰干しして、敷き直す。
 そんなヒマねーよ!
 ならば、座るか?
 いちいちションベンで尻をまくるのもめんどうだ。
 ヘビ柄のジーンズをさげ、パンツだけ残して座る。
 「社会の窓」ではなく「裏口」、つまり脇っちょから引っぱり出したほうがはやい。
 あごを反らしビートルズの名曲「I wanna hold youre hand」を「I wanna 放尿はあー」と熱唱しながら。
 しゃあー、
 ちょろちょろ、
 ちゅん、ちゅんと振り切る。
「オメロと日本人男性14.3%が追求したのは、これだったのかあっ!」
 すごいぞ、ぜんぜん飛び散らない。
 「立ちションこそ男の美学だ」というのもちょっとわかるが、メンズリブみたく「男」を捨てるのも新しい発見だ。
 2月の日光は尻をまくるにはちと寒いが、なんとも言えない安堵感がある。

、、、とまぁ、この文面から推測するに、AKIRAさんもどうやら<座りション派>に鞍替えするつもりのようだ。淋しい限りである。俺がAKIRAさん宅に滞在中は、もちろん<騎馬立ちション>で通した。当然、網走刑務所ミヤゲの「保釈中」サンダルを履いて(今思えばなかなか笑える図じゃわい)。くどいようだが、空手の「騎馬立ち」のままシッコすることでケツの穴周辺の括約筋が鍛えられ、精力も高まる。30代後半から多いとされる「尿漏れ」「残尿感」などもかなりの確立で予防できる、ハズ?!
トイレを汚さず、足腰&括約筋強化にもつながる<騎馬立ちション>、これぞまさしく一石二鳥、いや、「一ション二鳥」也。ションなアホな!と笑うなかれ、希望者には懇切丁寧に実技指導いたします。そしてその超ガニ股姿勢をホールドしたまま高らかに歌おう「I wanna 放尿はあー」じゃなく「アホな放尿はあー」と。
かくして「ラスト・サムライ」の牙城死守は、不肖、三代目春駒に託されたのである。サノヨイヨイ!
スペース・クリアニング (2004.02.12)

オフィスのデスク廻りの整理と平行し、実家のトレーニングルームのお片付けも進行中。このトレーニングルーム、15〜40才までを過ごした6帖間の洋室で、各種トレーニング機器の他、アウトドア用品、本、レコーディング機材、ギターなどがギュウ詰め。ここで寝起きしていた時(今ではとても信じられない)、寝返りうったらバーベルでアタマをガツン、Hey!タンコブ一丁あがり!みたいなことは日常茶飯事。昨日はハンティングウェア、射撃用ベスト(レミントン社製。高かった!)、古くなったトレーナーなど大量処分。押入をあけるとダンボールの中にはカビくさいLPがどっさり。ゴソゴソかき回していると、吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水、小室等らがフォーライフレコードを設立して間もない頃に、限定リリースしたクリスマスLPなんてのも出てきた。これ、いま売ったらドえらいプレミア付くんじゃないでしょうか?珍盤LPマニアが集う、インターネットオークションに詳しいヤツがいるのできいてみようかね。

イギリス人風水師、カレン・キングストンが面白いことを言っている。
「道路を歩いていると、空になったタバコの箱を無神経に歩道に投げ捨てる人がいます。次の日に同じ場所に行ってみると、その空箱のまわりには違うゴミも集まっています。そしていつの間にか、その場所はちょっとしたゴミ溜め状態になっています。最初はほんの少しの事から始まり、どんどん溜まっていくにつれてエネルギーがそこに滞り、あなたの人生に影響を及ぼすのです」
たしかに街なかを歩いているとそのような方程式があてはまる事例をよく見る。ゴミだけじゃなく、「ラクガキ」もそうだ。ある日、ひとつの心ないラクガキが出現する。と、あれよあれよと言う間にその周囲はラクガキで埋め尽くされていく。NHKTV『ご近所の底力』(これは近頃珍しくタメになる番組だ)でやってたけど、このラクガキを根絶するには「町内一斉消去作戦」が効果的らしい。ラクガキに悩まされる地区の住民達が人海戦術で消しまくるのである。ポイントは「ひとつも残さないこと」。これで大抵うまくいくが、もしひとつでも残っていたらまたヤラれるのだとか。不思議なことに、ラクガキの多いエリアは空き巣やひったくり、通り魔といった犯罪も正比例するらしい。類は類を呼ぶ。負のエネルギーもまた負を引き寄せるのだ。
選ばれし男?!、、、 (2004.02.11)

目覚めの朝、咽の状態はガラパゴスからガラガラヘビへ(どう違うんじゃ?!)。いいかげんハラたってきたど。風邪ひいて咽やられたのは27才のとき一度だけだったように思う。あの時はたしか2週続けてライブをキャンセルしたのだった。風邪で多少咽が腫れ上がっても、声が出にくくなることはほとんどない俺。熱い味噌汁飲んで咽に軽いヤケドしてしまった時、診察した中年の女医さんは「ちょっとこの声帯は、、、スゴイわよ!」と声をあげたものだ。その女医さん、医学生の頃、某テノール歌手(世界3大テノールのうちのひとり)の声帯を研修で診せてもらう機会があったらしく、例がないほど異様な筋肉の束で形成された彼の声帯にいたく感動したとのこと。俺の声帯はその彼のモノに酷似しているんだと。ただし、声帯の筋肉は鍛えられてブ厚くなるのではなく、先天的なものらしい。ふふん、やはりな。俺は神に選ばれし男なのよ。3.4時間吠えまくっても全然ヘーキだし。っつーても風邪でやられちゃ意味がないわいのー。

先週月曜日に収録したケーブルTV「Hi-Cat」の「大ちゃんの演歌道」とかいう番組が編集され、今週ずっと、それも日に3回も放映されている。午前中たまたま見れた。めったに俺をホメることがないオタマが「昨日も見たけどやっぱりカッコイイ!TVうつりいいじゃん!」と騒ぐ。なるほど、ハンディカムで撮影するWEBTVとは違い、ちゃんとしたTVカメラで撮ると俺もなかなかの存在感。それにディレクターの心遣いだろう、俺の名前はもちろん、プロフィールまでテロップで表示してくれたのが嬉しかった。来月からヒマになるのでよかったら今後も使ってくださいませね(笑)。

午後から「喫茶こばやしスタジオ」に行き、試しに声を出してみる。と、、、全然出るじゃんか。ほとんど問題ナシ。最近は咽に負担をかけない素直な発声で歌っているのか?そんなもんどっちみち意識していないのでわからんが、とにかくよう出る。心配して損したぜ。結局、2時間程熱唱。めでたしめでたし。

段原の自宅に帰ると部屋はえらくひっそりとしている。オタマは演奏旅行で瀬戸内海の某小島へ。そうか、ここまでスカスカしているのは、すでに3人分の命がこの空間で生活しているからだろう。不思議です。
ええ歯医者おらんかえ? (2004.02.10)

今度こそ、前夜からの「発汗作戦」がうまくいき、夜明け前汗をかいて目が覚め、濡れた服を急いで全部着替えてまたフトンの中へ。おかげで気持ちイイ朝。身体が軽い。アタマもすっきり。ただ、咽だけは少々ムセる。

某ケーブルTV局の先週の収録分が本日よりオンエアされているのを自宅でオタマが見たらしい。俺の出番は1分間ぐらいだが、なかなかにインパクトあったとのこと。一方、わがオフィスで明日アップ予定のWEBTV編集分をチェック。これがまぁ、よく出来ている。俺もイコマも充分怪しい(笑)。ケーブルTV局の半分以下のクルーで、しかもカメラはハンディカムなのに、このオリジナル感、リアル感、愉しさ感は秀逸だ。広告業界に12年いてよかったのは自分の手掛けた仕事が客観視出来るようになったこと。リクツじゃねぇ、面白けりゃそれでヨシ。

昼飯食ってたら、右下の奥歯の詰め物がポロリ。昨日、噛み合わせを調整した時、この詰め物も削ったからその振動ではずれたに違いない。その「ブツ」をテッシュに包み、件の歯医者に駆け込む。と、そいつを元に埋め直すのかと思いきや、センセー、ドリルで麻酔もなしにチュインチュイーンと削り始めるではないか。その痛さといったら、、、、何度も気を失いかけたぜよ。拷問のような数分間が終わり、気が付けばさっきとは違う女医が俺を見下ろしている。「新しい『かぶせ』が必要になります。保険がきく従来の詰め物でもいいんですけど、強化プラスチック製のほうが値は張りますが弾力性があるため、、」「ちょ、ちょっと待ってくらはい。あの、ひょもひょも(そもそも)昨日の噛み合わせ調整が原因ではずれたワケであーだこーだ」結局、俺の抗議はまったく受け入れられなかった。この歯科に通ってからというもの、やたら詰めたヤツがポロポロはずれやがるのだ。そんでその都度新しいのを詰め替えてる。当然カネがふんだくられる。どこの歯医者もそうなのか?俺が憤慨しつつも、1万7千円もする強化プラスチック製をはめることに同意したのは、それなら3年間の保証が付いているというからだ。誰か良心的な歯医者知っとったら教えてくれんか?年に1.2回も詰め物がとれてどうすんじゃい。俺はすごく納得できないでいる。

本日のラジオ、ゲストは某TV局イベント担当のバズーカ松本さん、シンガーのRycoさん、roccoの森元君。バズーカ松本(俺が命名)さん、前任のダイナマイト井上さん同様美人で背が高い。170あるそうな。Rycoさんもこれまた美人にて、俺もノリノリ(笑)。心配していた咽は喋るぶんには全く問題無し。
直樹人生相談、コタマキック、、、 (2004.02.09)

朝起きると咽がガ〜ラガラパゴス状態。昨夜寝る前に、「焼酎湯割り+厚着」作戦を試みるがもともと熱はあまりなかったようで汗を全然かいていない。失敗。先週から予約しておいた歯科に行って奥歯の噛み合わせを調整してもらった後、内科へ。自然治癒力の正常反応である風邪を薬物で撃退するのは本意ではないけど、オタマに移しちゃマズイ。やむなく点滴を所望。それから郵便局に行き、日光のAKIRA氏に心体育道の赤いTシャツ&AKIRAさんが載ってる新聞記事の切り抜きを、兵庫のイクチャンには俺のCDを郵送。

それにしても風の中に春の気配が濃厚。30代前半、ハンティングにのめり込んでいた頃、2月ともなると、猟場に甘美な湿った土の匂いが立ちこめていたのを思い出す。山では大地が一斉に発情するのだ。スゴ腕のハンターS師匠が亡くなってからは一度もフィールドに出ていない。散弾銃も近々手放すつもり。銃を振り回すには日本は狭すぎ、野生動物の棲息環境も荒れ放題だ。28才の頃、近い将来、未曽有の食糧危機にこの国が見舞われることを本能的に感じ取り、いつでも原始に戻れるよう実戦演習のつもりで銃の所持許可、狩猟免許を取得したのであるが、その「予感」が消滅したわけではない。むしろ大きくなっている。だけど銃無しでもイノシシぐらいはなんとか倒してみせましょう、竹ヤリとか(笑)。国家がアテにならなくなったとき(既にアテにしていないが)、結局頼りになるのは人と人との強固なネットワークである。たったひとりでサバイバルなどできるわけがない。自宅に核シャルターなど作ってもさっぱり無意味と思います。

愛器テイラーを預けているリペアショップから連絡。どうにも3弦のビビリが治せんという。こういうとき、俺の全ギターの主治医であったJ氏にすぐ相談出来ないのがツライ。だから広島にいてほしかったのにぃ〜。いっそ彼のいる京都まで送ってみようかねぇ。

夕方より発熱。オフィスで朦朧としていると、甥っこの直樹(小学2年生)からケイタイに人生相談デンワ。「もうこんな親(俺の妹)にはついていけない」ウンヌン(笑)。たかが子供と侮るなかれ。彼らのピュアな視点には教えられること多し。そのうちオマエもわかる時が来る、なんて知ったげなこと俺は絶対言わん。あくまで一人の男として扱い、一生懸命応ずる。共に考え、まっすぐな言葉で向き合うべし。これだけは屈折させちゃダメなのだ。学校や社会は、人を蹴落とすことばかり教えるが、そうではない、人にはもっと大事な<使命>があることを、実は子供のほうが知っていたりする。だいたい「子育て」だの、おこがまし過ぎるわい。なにかを教えられるほどリッパな親がどれだけおるんなら?俺がこれから生まれ来る命に言えるのは「ようこそ!待っておったど。さぁさ、人生一緒に遊びましょ」だ。
てなこと思いながら家に帰ると、「コタマがガンガン蹴ってくる」とオタマ。どれどれ、、、うおっ、ホンマじゃぁ。5カ月なのに心体育道黒オビ並みのエエ蹴りしとる!
ヒートアップ・サンデー (2004.02.08)

咽がムズムズし、咳が頻繁に出る。また風邪が復活しやがった?

てなこといいながら、午後、オタマと街なかをブラつき、恒例の<見るだけショッピング>。しかしまぁ、街の中心部はものすごい人でごった返している。タワーレコードにも寄る。一生かかっても聴ききれない量のCD、その中にさえ俺のCDが置かれていないのが少々シャクじゃわい。次回作は流通を見直す必要がある。一発一曲でイイから世間に存在を知らしめたい。Far East LoungeのCDは100万枚売れてもなんの不思議もないんじゃぁ!などという野望がまだ自分の中にあったことを知り驚いてしまいました(笑)。う〜ん、やっぱし熱があるようじゃ、、、、。

ラストに「BEAMS」に行き、服ではなくコンピレーションCD「Sunset Beach」を買う。ほとんどジャケ買い。ラクダの背に官能的なポーズでしがみつくビキニ姿の女性。帰って聴いてみると、いきなりセルジュ親爺!またまた熱が、、、、、。
飾りじゃないのよGパンも武道も、、、 (2004.02.07)

フジでGパンを買う。リーバイス505。その前に寄ったジーンズショップで店員が、今では珍しくなったUSAオリジナルのリーバイス501を売り付けようとしたが、俺はコレクターじゃないので結構。19000円ちゅうのも高すぎる。ギターでもビンテージモノがとんでもない金額で取り引きされているけど、俺にはさっぱりワカラン。道具や衣服はガンガン使ってナンボであって、飾っておくもんじゃなかろうに。

夕方道場。鍛練法を中心にした密度の濃い稽古。俺はまだまだ未熟であるけど、突き、蹴り、受け、投げ、すべて確実にキレが良くなっている。一般的なスポーツのピークが20〜30才ぐらいであるのに対し、先生以下兄弟子(平均年齢40ウン才)がいまだ進化しているのは驚嘆に値する。それから「秘伝」「神秘」などは心体育道には存在しない。気を入れて修練を積めば老若男女、才能の有無に関係なく誰もが修得できるのだ。
キックボクシングやフルコンタクト系空手をやっている友人に、心体育道の術理を口で説明するのは難しい。スポーツ格闘技とは似て否なるもの。やってみりゃぁとにかく面白いんだって。
イデオロギーより天然系、、、 (2004.02.06)

朝っぱらから、オフィス周辺を右翼の黒塗りの街宣車10数台がグルグル。建国記念日が近い。

今月退社後、デザイナーK氏、M氏とトリオで仕事をやりはじめる際、チーム名があったほうがよかろうと、ネーミングを考えていたところ、ヒラめいた。「天然発案」というの、どうでっしゃろ。理に適ったアイデアを出してくれそうなカンジするでしょ?しかもエコロジーなテイストもある。ええかもしれん。

夜、ハワイアン業界(笑)の方と懇談。CDをたくさんお借りする。ハワイの日系人の多くは広島出身者で占められている。そのため広島は戦前からハワイとの交流が盛んで、ハワイアンミュージックやフラダンスの愛好者も人口比率でいえば日本一。今はほとんどが高齢者だけど、E嬢達のような若手グループも精力的に活動している。興味深いハナシがいろいろ聴けた。フラダンスといえば、チャラチャラした印象を持っている人が多いが、実は極めてストイックで神聖な側面を持つ。なにかいっしょにハッピーなことができるかもしれない。
プチ断食、魂の二本差し (2004.02.05)

昨日の悪寒&ハラヒロホレ感は一体なんだったのだろう、というぐらい爽やかな目覚めの朝。結局熱は計ってないけど、たぶんかなりあったはず。

心体育道も推奨している<朝食抜き生活>を再開して3週間(妊婦はやたらハラが減るそうなのでオタマは通常通り)。結婚するまでの数年間、すでに朝食抜きを実践しており、その効果は体験済みだ。まず、体が軽い。アタマもスッキリし午前中からかなりの量の執筆をこなすことができる。身体の内蔵諸器官が快調に作動しているのが「知覚」できる。だいたい前日の午後10時あたりに夕食を終えるから翌日午後1時に昼食を摂ったとして15時間、水以外なにも口にしないことになる。毎日がプチ断食也。その間、消化器系は充分休息をとることが出来、排泄>活動>吸収>休息で自然の理に適ったローテーションが可能となる。結果、食べ過ぎによる栄養の不完全燃焼で脂肪や宿便が蓄積することも無くなり、免疫力も強化されるのだ(くわしくは講談社+α新書から出ている渡辺正著『朝食抜き!ときどき断食!』を読んでほしい)。
「きちん、きちんと、三度の食事」が、実はどれほど身体を蝕み、現代病の原因になっているか、論じられることはあまりない。食べ過ぎた挙げ句の「ダイエット」など、どう考えてもフツーではない。車にガソリン入れたからといって、無理にドライブする必要がどこにある?ただでさえ身体を動かさなくなった現代人ならなおさらの事だ。俺も小学校の頃、センセーからよく言われたものだ「朝食を食べないと脳も身体もエンジンがかかりませんよ。朝礼で倒れる子のほとんどは朝食を食べていない子です」と。この説もよくよく考えてみれば矛盾が多い。朝食を食べることで血液の大半は消化吸収を担う胃腸に使われ、その分、脳や筋肉が働くワケがないじゃん。そもそも、前日の夕食が寝ている間に消化吸収されているわけだから、朝は「ガソリン満タン」状態なのだ。その上さらに<給油>してどうするよ。
ガッコのセンセーが言うような「朝食を食べない子」は、食べたくないから食べない、というより、ギリギリまで寝ている(夜更かししているから起きられない)ため食べる時間がない、ついでにトイレにも行っていない子である。寝不足や不摂生が原因=虚弱で、朝食とは全く関係がない。俺は小学校時代、校庭で行われる全校朝礼で気分が悪くなり、保健室に担ぎ込まれたことが数回あるからわかるのだけど、正直に言おう、俺は「ウンコをガマンしていて」気を失ったのだ!始めは「屁」がしたくなる。なんとかこらえるとその次に「大」をもよおしてくる。必死に耐える。アブラ汗が出だす。顔が青ざめる。目の前が真っ暗になって倒れる。「わっ、カズクンが倒れた!」とクラスメート騒ぐ、、、これが真実である。くどいようだが朝食はカンケーない。

最近Far East Loungeのファンになってくれた人から「春駒さんはギターとウクレレ、今はどっちがメインなのですか?」という質問が寄せられた。どっちも大事です。サムライでいうなら腰の二本オモテ。ギターが「大刀」、ウクレレが「脇差し」つまりこの2本でワンセットなのよ。二本差しといえば、俺の先祖はそこそこの武士だったのが、何故か突然ドロップアウトして神主に転職(当時では相当な掟ヤブリだったらしい)。安佐南区祇園に「安神社」というちょっとした神社があるけど、今もこの境内の中に「小林本家」があったりする。俺の先祖だからやっぱり変わりモンだったのだろう。サムライを辞め、どうして神サンに仕える気になったのか、聞いてみたいものだ。
ううっ、、、 (2004.02.04)

風邪をひいたかもしれん。廻りは風邪ひきばかりなのでうつってもしゃーない。熱っぽく、寒気も少々。なによりアタマの中がどんよりこんこん、アラレやこん。やっとこやっとこ、オモチャのへいたいくりだしたぁ。ダメ、もう寝ます、、、
その男、強運につき、、、 (2004.02.03)

4月25日に開催される「おのみち音楽祭」への出演を現在調整中。先月、神辺のライブハウス「ハイダウェイ」に来てくれたお客さんの中に「おのみち音楽祭」の実行委員長&スタッフがいたことから、ライブ終了後にオファーを受けていたもので、なんだか、こういうカンジで繋がっていくのがありがたい。ツンチャンからも今月22日の「千田ワッショイ祭」への参加を持ちかけられている。年明け早々からえらい勢い。「高速道路ではアクセルを踏み続けろ」の心境。

恐ろしい仮説と出くわした。T地震予知研究所代表者、I氏いわく、
「日本列島付近では地球上の1割の地震が発生しており、世界のM8級巨大地震のメッカと言えよう。これは、およそ70〜150年間隔で日本主要産業ベルトに一致する地域をM8級規模で襲い続けてきた。
 この南海トラフ巨大地震が、日本歴史の主要な舞台、地域と完全に一致し、また歴史的に醸成された産業地帯と一致するのは何故だろう? この視点を提起した文献は存在せず、したがって文献だけが全ての知識と勘違いしているアカデミー関係者の誰も言っていない。筆者だけが勝手に述べていることになっている。筆者は、次のように書き続けてきた。
 地震による変動・破壊が、権力・政治・産業・農産・生活様式に対する価値観の硬直化、絶対視を否定し、能動的・流動的・相対的な価値観を成立させ、政治・経済の変化を促す原動力になったと想像できる。すなわち、地殻変動による恵みによって、山陽道・西海道・近畿・東海道産業ベルトが成立したと考えることができると。
 また、農産では、雷の多発地帯と一致し、空中窒素の固定による増産があっただろう(地震と雷は深い関連がある)。さらに花崗岩の変動地帯では多様な鉱物を大量に産生し、大量生産、産業基盤を支える鉄器などの資源を支えた。だが最も大切なことは、硬直した所有関係が破壊され続けたことであった。人々は70〜150年に一度、壊滅的な被害を被り、生活を根底から破壊された。このことが余剰生産力を生む要因となった。必要以上に働く結果、余剰生産力によって強固な権力が成立したのである。例えば江戸が火災によって発展した経緯を思い出されたい。
 この産業ベルトであり、巨大地震常襲地帯でもある特別な地域では、定例的な(そのスパンは、一人の人生の長さに等しい)価値観の破壊が起こり、それこそが日本国家を世界史の中でも希にみる活性化した地域とし、その特異な文化を醸成したと考えられるのである。こうした視点で、関東大震災や東海地震を見るべきであり、いたずらに私有財産や生命の崩壊を恐れるべきではない。地震による私有財産・生命の破壊は、人間社会にとって大掃除と考えねばならないのだ」。
たしかに歴史史上、日本ほど何度も「焼け野原」を体験した国家も珍しい。それが新陳代謝を促す、大きな契機となった、、、、う〜んスゴイ。思いもつきませんでした。
一方「富める国の安易な援助が、たとえばアフリカで見られるような一部の歪んだ特権階級を権力の座に居座らせている、だからアフリカ諸国の復興を願うのなら何もせず、白人やアジア人はアフリカから立ち去るのが一番だ、自活こそが繁栄に至る唯一の道である」と論破するのはジム・ロジャーズ。つまり人間は、自然災害や戦災などでこっぴどいダメージを受け「必要に迫られた」場合にのみ、精神的、物質的にも<真の解放と進化>がもたらされるということなのか。飽食大国ニッポン、お次はどんな未来が待ち受けているのだろう。

本日のラジオ、レギュラーゲストのM翁、ドタキャン。トラブル続きだったこのコーナー、今度こそお終いである。肩の荷が降りた?スタジオDJジャックのテディクマ氏がたくさんCD持って来てくれてたので助かった。

局からの帰り、喫茶こばやしスタジオで発声&心体育道の稽古でもしようと実家に向かう途中、2号線をチャリで自転車専用横断道を渡っている時(もちろん歩行者信号は青)、それは突然やってきた。信号に気付かなかったのか意図的に無視したのかしらないが、左手から一台の白いライトバンが猛スピードで突っ込んできた。明るい交差点だし、チャリのライトもちゃんと点灯していたから俺の存在は運転手にもハッキリ見えていたはずだ。事故をする時、その一部始終が「スローモーション」のように見えることがある。俺も何度か経験している。で、チャリのペダルを踏み込んだ俺の左足にゆっくりクルマのバンパーが近付くのを見ていた。ゆっくり、ゆっくり、あと30センチ、20センチ、ああ、避けられん、この左脚ともオサラバか。転倒したら、どういうふうに受け身をとろうか?どれくらい入院せにゃならんのだろうか?くそっ、メンドくさ〜、、、、、と、観念した瞬間、これを書いている今でも信じがたいのだが、スーッと、俺の脚約1センチ手前で止りやがった!チャリから降り運転手に詰め寄る俺。当然一言言わせてもらう「ワリャ、どこを見よるんじゃいボケェ!」見ると、ス−ツ姿の貧弱な青年が、今にも口から心臓でも吐き出しそうなほど狼狽している。命を脅かされたことへの怒りより、無傷で済んだことの幸運を喜ぶ気持ちが強かったので、特別に赦したる。いや、マジ危なかったで。もう少しで今世紀最高の人間国宝の未来が閉ざされ、世界が深い悲しみに包まれるところであった。それにしても、あのスピードで突っ込んできた車が何故、止まれたのか???どう考えても不自然。
駅前メディアステーション始動?! (2004.02.02)

午前中、駅前メディアステーションにて、某ケーブルTVロケのお手伝い。俺はメディアステーション「スタジオ417」の専属ナビゲーターというシチュエーションで、プロモーション活動を展開中のタレントO氏をお迎えするホスト役で出演。コピーライター、FMDJ、WEBTVナビゲーターなどなど、超雑食主義をこのギョーカイで貫いてきたおかげで、随分タフになった(応用が効くという意味で)。しかし決して「慣れ」ているわけではない。セオリーさえない。あくまで自分流&素人臭くやる。だから、誰かのお手本になることもまずない。
撮影クルーはタレントを含め総勢6人。ときどき「いったいどういうカラクリで制作にオカネが廻っているの?」と聞いてみたくなる番組があるが、これもそうだった。俺のWEBTVクルーはたいてい2.3人、ひどい時は俺ひとり(自分でカメラ回しながら喋るいわゆる<電波少年スタイル>)、ラジオでも俺がタイムキーパー、エンジニア、ゲストのセッティングまでやってるわけだから、「音声さん」がいるだけで感動してしまうのよ(笑)。ケーブルTV、儲かっているのだろうか?!どなたかオカネ持ちのスポンサーさんよ、俺にドカッと1000万円ほどつぎ込んでみぃ、ええモン作ったるけぇ(1億といわず1000万円というあたり既にせせこましい?)。

で、収録後、ディレクターとおぼしき女性から「番組中のキャプションで入れる肩書きはどうしましょう?」と訊ねられて考え込んでしまった。オフィスを抜けたら、「ARFOXチーフコピーライター」は使えん。とはいえメディアステーションの正式なスタッフになったわけでもない。よっしゃ、しばらく「肩書きナシ」でいこう。そのうち誰か付けてくれるだろう。

夕方、メディアステーションのスタッフから連絡。午前中、メディアステーション所有の別カメラで収録したタレントO氏とのやりとりを編集して駅前マルチにて放映開始した、とのこと。やることが早い。興味のある人は駅の正面噴水前に立っていれば一日何十回も見れるはず。でも、まだメディアステーション自体の自主番組が正式には一本も決まっていない状態なのに、、、まぁ深く考えまい。あーこりゃこりゃ。
ライブのバリアフリー (2004.02.01)

五日市のカフェ「沙羅」にて、オタマと生徒達によるボランティア演奏会。俺は運転手として同行。沙羅は身障者や知的障害者とその家族を献身的にサポートするスポットである。今日のような無料ライブは年11回、1月を除く毎月第一日曜日に開催(足掛け4年で今回はナント44回目!)されており、オタマもこれで3回目の出演。特に重度の知的障害者にとって、一般的な演奏会に足を運ぶのはいろいろな面で問題があるようで、こういうような機会はかなり貴重であることを主催者から聞いた。通常、ライブハウスやホールで行われるライブはたいてい有料である。カネを払った客としては、できるだけベストな環境で演奏を楽しむ権利がある。理想を言えば、健常者、身障者、知的障害者が分け隔てなく同じ場を共有するのが素晴らしいのはわかっているけど、いざ実行するのはたいへんだ。沙羅のスタッフには頭がさがる。俺もちょっと考えてみたい。
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