Far East Lounge 三代目春駒小林一彦オフィシャル 小林一彦イラスト

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2003年09月の日記

(2003.09.30)

来月っつうか明日はもう10月ではないか。そんでもって25日には41才になるらしい。らしい、と他人事みたく言いたくなるほど相変わらず自覚がない。30代はこう、40代はこう、などというつまらん固定観念に縛られてないだけエエじゃないか?!
新潮文庫から出た須川邦彦著「無人島に生きる十六人」が面白い。「椎名誠が選ぶ漂流記ベスト20の堂々1位!!」というだけのことはあった。時は明治31年、大平洋上で座礁し脱出した16人が、漂着した小さな島で工夫しながら生き抜き、救出されるまでを綴った実話である。俺も漂流記が昔から大好きで国内外あわせて30册近くは読んだと思うけど、俺は彼等十六人のサバイバル技術そのものより、極限状態に放り出された時の「ものの見方」に興味を持った。とにかく前向きで明るいのだ。悲観すれば、それこそ限りなく絶望的な状況であるのに、島に上陸後、船長は毅然と言い放つ「ここは塾、あるいは道場である」と(笑)。で、規律を作り、実際に学習会を始め(これで文盲だった水夫が実際に読み書きができるようになるのだ!)、体育や詩吟の時間、茶話会まであったりして、読んでるこちらも楽しくなり「俺も仲間に入れてもらいてぇな」などと思ったり。いや、ホントすごいです。A・ランシングの「エンデュアランス号漂流」もアンビリーバブルだったが、漂流記を読んで笑い転げたのはこれが初めてかも。「面白くなき世を面白く、住みなすものは心なりけり」と詠んだのは高杉晋作チャン。同感なり。それからやはり、前向きというのには、自らを律する気持ちもどこかに含まれてなきゃダメなのでちゅね。それが他人を思いやる気持ちも生むのだろう。
本日のラジオ、ゲストにロケン屋ケンチャンことナカハラヒサロオ氏久々の登場。その他、来週から始まる新コーナーの2週分を収録。しかし、ラジオ収録となるとどうしてこうもテンションさがるのだろう。映像はどうってことないのだが。今後の課題。
(2003.09.29)

26日付けの屈折日報で触れた、某地震予知研究会が、またまた気掛かりなコメントを発している。先日の2003年北海道十勝沖地震の影響とも考えられる大きな余震が、10月3日または10日に起こる確立がきわめて高いという。自然が相手の予測はあくまで予測であって、ハズれる可能性も当然あるのだが、なにせこのグループ(個人?)、くどいようだが今回の北海道沖地震を3日前にズバリ当てているのである。彼等が予知の根拠とする地震雲やエアロゾルなどには、気象庁はほとんど関心がないらしいが、大地をあれだけ揺り動かす膨大なエネルギーが一瞬で働くわけだから、そのエネルギーのピークにあわせて、大気の微粒子や、電磁波、電離層などが連動的に変化を起こすのは充分スジの通ったはなしであると俺は思う。
動物の変化にも留意したほうがいいらしい。カラスは、地震直前、不安をかきたてるごとくギャーギャーと耳障りに鳴きわめき、犬や猫も落ち着かなくなったりするとのこと。そういやぁ、バイオリンを得意とする霊長類であるウチのオタマも、最近妙な運動を始め出した。気になって訊いてみると「オッパイ体操」という運動で、これやるとチチが大きくなるそうな。あーこりゃこりゃ。
(2003.09.28)

庄原のレストラン&ライブスポット「すけあくろう」へ。大将のT氏に、CDをやっとこさ手渡すことができた。広島市内からここまで片道ちょうど100km。温品から深川、向原、三次船所から広域農道へ抜けるルートは信号も少なく、川や丘陵地など起伏に富んだ景観も楽しめるのでツーリングにゃオススメです。ちなみに俺は高速道路を走るのがそれほど好きではない。あそこは「排水溝」の中を流れているような気がするのだ。急がないのであれば、人の暮らしのニオイや自然のうつろいがゆっくり味わえる一般道がいいよ〜ん。
夜は某TV局の50周年特別番組「さとうきび畑の唄ウンヌン」を見る。若手俳優でイイ演技をするのもいたが、全体的に沖縄戦の悲惨さへのアプローチに物足りなさを感じてしまった(あ、もし見た人の中でこのドラマに大感動した人がいればここから先は読み飛ばしてください。それはそれでいいのです)。2時間ちょっとのTVドラマ枠の限界か?ドラマ途中に挟み込まれたCFで、ドラマに登場する俳優達を起用したものが数多くあったけど、これもまったくいただけない。プロデューサーはスポンサーを説得するのに好都合と考えたのであろうが、戦争の理不尽さ、極限状態で向き合う命の尊厳を迫真の演技で表現した直後、その当の女優が「ナンチャッテ〜」的にマラカス持って踊り狂ったり、アイスクリームを食べてニッコリ微笑むCFをオンエアする不粋で無神経な構成に、ハラをたてたのは俺だけか?デリカシーなさ過ぎと思います。俺が俳優だったらガマンできないだろうし、なにより、実際にあの地獄を体験した沖縄の人々への配慮も感じられない。このようなシリアスな事件をモチ−フにする場合、作り手は絶対に観光客気分のような安易な接し方をしてはイカン。俺も気をつけねば。久々の(?)プンプン丸。
(2003.09.27)

うっちゅうのかなたっからぁ〜、ひっかりぃのはやさでやってきたぁ〜、ぼっくらの味方〜。というわけで、ついに「光」を我が家に敷設完了!もうこれで「糸電話」だの「伝書鳩」だの「手旗信号」などとはキレイさっぱりオサラバできるってもんよ。そんでもって自宅で屈折日報更新中なのである。わーい、わーい。
(2003.09.26)

このところ、全国版TVで「関東大地震は必ず来る!!」的な特集番組がかなり多く放映されている。俺の野獣のセンサーも近々ナニカ得体の知れぬ天変地異が到来することを、かすかに伝えてくれておる。今週23日、KEMURI特集をやった日の6:15頃だったか、9Fのスタジオからふと西の己斐方面に目をやったときギョッとさせられた。ブ厚くたれ込めた黒雲の下方に、ナイフで水平にスパァッと裂いたかのような切れ目があり、そこから見たことも無いような真っ赤な無気味な夕焼けが覗いているのである。悪魔が笑っているみたいに。そして昨日夕方、打合せ中オタマからケイタイに「今、夕焼けが凄すぎる!」とのメール(俺らは以前から空の状況を報告しあう珍しい夫婦なのである。笑)。俺は結局見れなかったのだが、それはもう気色悪い血のような夕焼けだったそうだ。で、今日の夜明け前の北海道十勝沖地震。大地震の前には雲や夕焼け・朝焼け、発光現象、耳鳴り、動物の異変などなど、さまざまな天候や自然現象の異常が起こるとされている。ちなみに俺らの見たおぞましい夕焼けは「前兆エアロゾル」と呼ばれることが多い。気になってインターネットで調べていると、某名古屋のアマチュア無線グループがこれらの現象予知のエキスパートであることを突きとめ、さらに読み進むうち、驚愕のコメントに遭遇。なんとこのHPの主は今週23日付けのコラムで、「明日24日〜26日までに東北から北海道にかけた大平洋岸海域でM5〜M7の大きい地震が起こる」と予測しているじゃんか!実際にはM8であったが、恐ろしい適中だ。彼は続けて、この地震が引き金となり、年内に新関東大地震が起こる確立が高まる、と結んでいる。無闇矢鱈と怖がる必要はないかもしれんが、「備え」だけはしておいた方がよさそうだ。我が家の場合、水、食糧はもちろん、ビール&つまみ類も備蓄メニューに含まれている(笑)。
(2003.09.25)

WEBTVのロケで市内中区大手町の某「(オキシーバー)酸素バー」へ。久しぶりに参加したイコマとブッ飛び収録をかます。初めて体験した嗜好品としての濃度90%の酸素吸入、なぜか映画「時計仕掛けのオレンジ」のミルクバーを連想せずにはおれなかった。それほどSFチックというのか未来空間っぽさがあったのだ。で、たかが10分間やっただけで確かに気分はスッキリするのだ。吸入ノズルを鼻に突っ込んだまま、サービスで出される活性水素水(体内の活性酸素を除去するとか)でイコマと「カンパ〜イ!!」とやらかした時にゃ、おかしゅうて鼻からノズルごと活性水素水を吹き出しそうになったゼ。それにしても気が付けばこの番組も丸1年。信じられんような低予算、少人数スタッフでよくもまぁやり通せたものである。今回のオキシーバーのように取材を快く引き受けてくれるご厚意にも感謝。この番組映像のファンという奇人(失礼)と偶然飲み屋で隣り合わせたことがある。「いつもスゴク楽しそうにやっておられますねぇ。いやぁたいした演技だ」とおっしゃったが、あれは演技なんかじゃない。ホンマに楽しんでいるのである。
ロケ後、間髪入れずPステへ走り、こんどはキャンペーンで広島に来ていた某「キーボードスタイルの女子高生シンガーソングライター(俺が命名したんではなく、自らこうおっしゃいました)」の収録インタビュー。彼女は16才のとき「路上ライブ1000回」「手売りでCD5000枚」「渋谷公会堂での単独ライブ」などの目標を掲げ、すでにライブは800回、CD8000枚、渋公ライブも8月にやり終えている。俺は22年前(笑)18才のとき、「路上ライブ100回!」を掲げて毎週日曜日、一度も休まずストリートで歌いまくったことがあるが、そんときゃ目標達成に2年かかった。それが17才で現在800回、それも1年で?そこんとこ突っ込んでみれば、1回3曲とし、同じ場所で一日数回やるんだそうだ。まぁ、カワイイから許す(笑)。いずれにしてもアッパレな行動力ではないか。親子ほど歳が離れてはいるが見習うところ多し。出会うひと、すべてがメッセージを持っている。
(2003.09.24)

カフェジャイブへ、相棒、梶山シュウのユニット「オルカ団」のライブを見に行く。キーボーディストのマミチャンが脱退後、新生オルカとしては初めてのライブとなるわけだが、オルカの背骨(あるいは背ビレ?)であったマミチャンの抜けた穴をどう埋めるのか。埋められずに前衛怪獣テンタクルズと化すのか。それを梶山は伝家の宝刀であるはずのベースを、なんと、アコギに持ち替えるという意表を突いた、しかし非常にシンプルな返し技で、ダイナミックに泳いでみせた。見事なり。新しく何かを加えるという発想も大事なのだが、今手許にあるものでどう戦うか、その具現である。それにしても梶山のライブには珍妙な風体の客(失礼)がやたら目に付く。今回は俺の前にどっかと座った、スキンヘッドに作務衣姿のいかつい欧米人が出色。背中を丸め、ドでかいピザをパクついている。気になってなかなか演奏に集中できんかったぞ(笑)。
(2003.09.23)

盟友Kから転送されてきたKEMURIのフミオ君からのメールで、本日横浜にてリョウスケ君の通夜、明日葬儀とのこと。俺とKの連名で弔電を打つ。
昨日の予告通り、本日のラジオ、KEMURI特集。「緊急追悼番組」というタイトルを冠すると、とたんに辛気くさくなるし、なにか便乗的なノリが出てイヤじゃのう、もうひとついい名前ないかのうと、直前まで悩みまくった。で、結局あっさりと「KEMURI特集」でいくことに。今日の放送のことをKがKEMURIのBBSにカキコしてくれたおかげで、放送開始から、福島、東京、熊本をはじめ、全国より物凄い数のメールが寄せられる。つとめてクールにトークすることを心がけたが、番組後半、ダブエンラッシュの曲をかけようと、リョウスケ君の形見になってしもうたデモCDを手にとった瞬間、また彼の顔がありありと思い出され、たまらん気分に。そうよ、俺たちはあの時、どちらともなく何故か握手を交わしたのだった、「また会いましょうね」と。あれからまだ3週間も経っていないというのが信じられん。リョウスケ君、このCDは「小林さん、歌い続けてくださいね」というキミからのメッセージであると、勝手に解釈させてもらいますよ。いつかあの世でセッションしよう。
放送終了後、俺のCDジャケットデザインをやってくれた鉄腕デザイナーM君と、おなじくKデザイン事務所社長K君と、居酒屋で密談。3人で(とはいっても俺はアイデア担当だが)ショットバーのようなものを出そうと考えているのだ。リョウスケ君のこともあって、「やるんならとっととやろう、動かんとなんにも始まらん!」と鼻息荒い俺。ひとりで何もかもやってしまおうとするからシンドイし、イメージが拡がらないのであって、みんなにそれぞれの得意分野を割り当ててセーノっ!でやってしまえばあっけなく勝負がつくと、これまでの経験で言える。なにかの戯曲のセリフでこんなのがあった「なるほど、そいつは面白いや!で、いつからやる?」「今からだ!!」。
(2003.09.22)

朝、オフィスに到着するなり、盟友Kより電話。KEMURIのトランペッター、リョウスケ君が事故死したとのこと。昨夜9時過ぎ、東北自動車道で福島へツアー移動中だったKEMURIのワゴン車が横転し、運転していたリョウスケ君が路上に投げ出され、助手席に乗っていたドラマーのショウジさんは骨盤の骨を折る重傷。リョウスケ君は搬送された病院で脳挫傷のため間もなく息を引き取ったらしい。他のメンバーは別行動だったのか、詳しいことはまだわからない。
今月6日と8日の「屈折日報」でもふれた通り、KEMURIの広島公演終了後、楽屋で俺の音源を気に入ってくれたメンバーにCDを4枚ほど手渡したことを書いたが、その4枚のうち、1枚をリョウスケ君、もう1枚をショージさんが持っているのである。そのときリョウスケ君は「ボクの別ユニットでやってる音源も聴いてください」と1枚のデモ盤をくれ、その中の1曲「砂塵」を気に入った俺は先々週のラジオでオンエアしている。そのことを知った本人からお礼のメールが先週届いたばかり。自分のCDを差し出した時の彼のちょっとはにかんだ表情、今もはっきり覚えている。今はひたすら、残念でしょうが無い。何十年と付き合いのある人物でもわからんヤツはわからんし、初めて会ってふたことみこと言葉を交わしただけで、わかりあえるヤツもいる。彼は後者で、懐かしい雰囲気を持った不思議な青年だった。なんかうまく言えんけど、「会えた」と感じさせるヤツだった。とても大切な友人を失ってしまった気分だ。
明日はラジオの放送内容を変更し、KEMURIの特集をしたいと思う。そんなことしてもどうにもならんのはわかっているが、たぶんリョウスケ君だって、残ったKEMURIのメンバー達が「P.M.A」を貫き通すことを願っているに違いないと思う。だから俺も俺なりのエールを。リョウスケ君、聴いとってくれぇや。
(2003.09.21)

午前10時に宿を出、秋吉台へ。小学校の修学旅行以来だからほぼ30年ぶりになるのか。しかし、天気はよろしいのだが相変わらず台風の影響で、凄まじい突風。風上に顔を向けていたら息が出来ん。オッサンの帽子はすっ飛ばされ、オバハンの髪の毛はモミクチャにされ高木ブーのカミナリ様状態、女子中学生のスカートは捲れあがり、ガキは着ているTシャツの裾を掴んで拡げて飛ぼうとしている。オマエはムササビか!俺とオタマはそれでもカルスト大地を散策。広大な景観にすっかり気を良くした俺、あたりに人がいないのを確かめ、上半身ハダカになってポージング(写真参照)。で、このあとがタイヘンだった。強風でTシャツがバタついてうまく着れないのだ!うおっ、ヤバイ、ひとが来る!!カルスト大地にしゃがみ込み、懸命にTシャツと格闘するハダカ男、、、、サノヨイヨイ!
帰りの山陽高速、横風がホンマに恐かった。トンネル抜ける時が要注意。俺の軽いワンボックスは簡単に1メートルぐらい流される。もっとヒサンなのはバイク乗りだ。重いリッターバイクでさえ、右へ左へフラダンス。カウルに貼ってある「HIGHWAY DANCER」のステッカーが哀しい(笑)。
それにしても、今回の旅。広島市からこんな近い距離に、面白いスポットはいろいろと散在している。沖縄に入り浸っていた俺ではあるが、たまにはこういうプチツアーも楽しいもんだ。
(2003.09.20)

午前10時前、広島出発。山陽高速で美祢I.Cまで約2時間。そこからR316を北上し、青海島をブラブラ。東端にある「くじら資料館」を見学。ここら一帯では明治初期まで鯨漁がおこなわれていた。目の前の小さな仙崎湾までセミクジラなどが回遊して来ていたことに驚く。1.5メートルはありそうなクジラの実物ペニス(写真参照)にオタマ感激(笑)。
宮島の半分くらいのこの青海島、日本海側は奇岩が連なる景勝地として人気のスポットで、観光周遊船なども出ているけど、台風の影響で時折立っていられないほどの突風が吹いてるし、海面にはざわざわと白波が立ってるし、こりゃさすがに欠航だわなぁ、などと港前の海をぼんやり眺めていると、出航しやがんの、クジラのかっこうした周遊船が(笑)。フネに弱い人は乗っても景観眺めている余裕はないだろうに。俺はそのうち、この島をシーカヤックで2日くらいかけて廻るつもり。
昼メシは仙崎港前のH屋にて豪華にウニ釜飯。お一人様2350円也。たまにゃ、あえて高価なモンを食ってみる。こういうケースにおいて中間を狙うと本質は見えてこない。思いっきり高いか最低のものかどっちか両極を試すべきである。で、ウニ釜、美味しゅうございましたぁ。これで半年はウニを我慢できる!という程の量。
夕方、湯本温泉へ。オタマが予約しておいたY別館の姉妹館S亭。ここの全9室すべて内湯付きで、それぞれが檜風呂だったり樽風呂だったりするが、俺の部屋は陶器風呂!。2人はラクに入れそうな、備前焼きのようなシブイ色合いの陶器製風呂釜がデンと据えてあり、檜製の蛇口から天然温泉が滔々と流れ出るというゴージャス設計。
クルマに積んでおいた折り畳み自転車2台を降ろし、夕方までオタマと周囲を散策。見知らぬ町をマイチャリで駆ける心地よさ。それが秋風そよぐ鄙びた湯治場ならなおさらである。川土手広場に設えてある足湯場で休憩。ここで宿の浴衣を来た男性が声をかけてくる。なんとオタマのバイオリンの生徒Yさん。ニッポン狭いッスねぇ!
さて夕食(部屋食)。贅を凝らした、しかし、これ見よがしな嫌らしさはまったくない清楚な京風の薄味で、一夜で平らげるには勿体無かった(泣)。2度目の温泉に入ってから、仙崎で買った地ビール飲んでると、急激に酔いが廻ってダウン。夢も見ないほど熟睡。
(2003.09.19)

この屈折日報の記念すべき1ページ目を飾ったのは、甥っこの直樹と東広島市西条の里山へオタマジャクシやらセミやらトンボやらを捕りにいったおハナシであったが、そのときのショクヨウガエルの巨大オタマジャクシも、やがて足が生え手が生えシッポが縮み、いまや一丁前の若ケロヨンに成長した。ケロヨンは知っての通り、生きたエサしか食わん。でもって、俺がときどき出勤前に近所の比治山に登って捕獲したバッタやコオロギをせっせと与えるのを見ていた俺の親父「面白そうじゃ。それならワシも」と思ったのか、この物好きなオッサンも直樹を連れて比治山に日参しはじめたからさぁタイヘン。親子三代で、これでもかこれでもかと競うがごとく捕りまくってエサを与えたところ、かなりのデブチンガエルになってしまいましたとさ(笑)。顔も「高見盛」に似てきたし。こりゃダイエットささにゃいけんかもね。
ダイエットといえば、俺は生まれてこの方、その必要性を感じたことはただの一度も無い。穿いているジーンズも30インチ(76センチ)で、これは高校生の時から同じサイズである。ああ、またこんなこというと、イコマや「走る口」から「カラダもアタマも成長しとらん証拠」となじられそうじゃわいの。
忙しさにかまけてうっかり忘れるところだったのだが、明日から1泊2日の日程で山口県青海島あたりをクルマでブラつく予定。夜は湯本温泉か?わーい!
(2003.09.18)

県病院へ入院している友人を見舞う。ミヤゲは当然俺のCDである。思えば、彼女がいなければ、俺は音楽などとっくの昔に放り捨てていたかも知れない。彼女と出会ったのは、俺が20代後半、パートで臨床検査技師のアシスタントをやっていた頃。同じ部署の先輩であった彼女は、すでに孫がいるにもかかわらず、やらたエネルギッシュで、クリエイティブで、なによりキュート(笑)であった。俺がもし女であったなら、彼女のように年を重ねたいと思ったものだ。この時期、俺はミュージシャンとして完全に行き詰っていた。自分の存在自体さえも否定したいというか、消し去りたいというか。それでなんやかや色々あって、音楽廃業宣言をし、収入源のアシスタントも辞め、萎えきった闘争本能を呼び覚ますために今一度自分を思いきりビビらせてやるわい!と、まったく畑違いの広告デザイン業界へ身を投じるわけだ。その間も、彼女は本を貸してくれたりCDをくれたり「彦坊(彼女は俺をこう呼ぶ)はゼッタイに音楽を辞めちゃいけんよ。才能あるんじゃけぇね」と励まし続けてくれたのだ。
今こうして、四十路にしてやっとこさCDをリリースできたことを一番喜んでくれているうちのひとりである彼女が、長らく病に伏せているという図は非常によろしくない。持ち前の非常識なパワーを発揮してさっさと快復し、以前のように俺を元気よくド突いたり叱咤してもらいたいもんである。さあ、もういっちょういこうじゃないスか、アネさんよ!
(2003.09.17)

MC業を営んでいる友人からTEL。盆前あたり足首を骨折し、やっとギブスを外せたとのこと。しかし、たかだか1ケ月で固定されていた周辺の筋肉がすっかり落ちてしまい、リハビリに難儀しているらしい。東洋医学では骨折した場合(まあ、程度によるんだろうけど)もガチガチに固定したりせず、むしろ患部周辺のマッサージを頻繁に行い、血行を促進させることによって治癒させる方法がとられることが多いと聞く。そのほうが結局治りも早いしリハビリも短くて済むらしい。西洋医学をすべて否定するつもりはないけど、そろそろ「部分」ばかりを診るのではなく、「全体」のバランスを見きわめながら治療にあたる東洋医学の要素もどんどん取り入れる時期にきているんじゃ無いだろうか。飛躍するが、たとえば「テロ」。これは疾病で言えば「癌」みたいなものだろう。このテロ=癌を根絶するためにアメリカなどがやっているのは乱暴にメスで切り取ろうとする行為に近い。当然、痛みも大きいし傷跡も残る。これを東洋医学的に診る場合、まず、そのテロ=癌ができた原因を注視する、病気はすべからく「サイン」なのだから。そしてその「サイン」の言い分にじっくり耳を傾けるだろう。で、ようやっと治療にとりかかるのだが、いきなり切り取るような乱暴なことはせず、血液循環・排泄力の強化、自律神経の調整などによる、自然治癒力を高める方法がとられる。今、この国でも陰惨な事件があとを絶たないが、犯罪者という「個」を見るだけじゃ不十分だ。それら「個」を生み出した体質=国家・環境・価値観を見つめ直さなければ、本当の治療など到底およばない。同じ理由で、短絡的で思慮に欠ける石原慎太郎氏を都知事に据えてしまう、東京都の体質も俺には不健全に思えてしょうがない。
(2003.09.16)

市内中心部のCD販売拠点となる楽器店YのCDショップ売り場に、販売委託状その他の書類を持ち込む。これで一週間後には店頭に並べてもらえる。沖縄でも、昨日、ついに記念すべき1枚目が売れたとの連絡が沖縄在住ディストリビューター(アムウェイかっ!笑)のマキスケから連絡があったばかり。よっしゃあ、この調子で、アイツにも1枚コイツには10枚と、皮算用は「果てしなく続くストーリー」。で、思い出したが、今回の俺らのCDのプレスを発注した工場は「果てしなく続く〜」を歌ったミーシャのCDをやったところでもあるとゴッドハンド・オキイから聞いた。つまり、レコード「プレス」会社は、同じであるわけだ(笑)。コレ、PRに使えるかも(苦笑)。
そういえば、CDを買ってくれた人からジャケット裏にクレジットされている「制作・販売/WYRDレコード」に関する問い合わせもいくつかあった。「WYRDは今、もっとも注目されている世界的なレーベルである!」と力強く答えるようにしているが、このレコード会社の所在地はズバリ俺んちである。電話をすれば俺かオタマが出る(笑)。ええい、気にするでない。かのマイクロソフト社だって、最初の1.2年はこんなカンジだったぢゃねぇかい。希望はでっかくいきマッスル!
本日のラジオ、3つのレギュラーコーナーをお休みし、その分、曲をかけまくる。俺の番組に限って言えば、放送中に裏オモテはない。曲がかかっているあいだも、俺とイコマは同じように互いをなじり合っている(笑)。いや、イコマはヘーキで俺を小突いたり、ヒップ&ショルダーアタックをくらわせたりしやがる。頼む、だれかこのオンナを止めてくれ?!
(2003.09.15)

午前中、友人K宅へ、先月生まれたばかりの長女のお顔拝見にうかがう。おお、カワユイぞ。父親であるK氏、自分で風呂に入れたりオムツ替えたりと、すでにかなりの親バカぶりを発揮のよう。両親がガタイがデカイのでこりゃまた相当な大女になるのでは?いっそ女子柔道選手にしてみてはどうだろうという勝手なハナシで盛り上がる。少子化が懸念されているけど俺の廻りは出産ラッシュ。K氏もあと2人ぐらいは欲しいとか。
あれは俺が小学生の頃だったか、子供会のイベントかなにかのオープニングスピーチで、町内会長である鉄工所のオッサンが「みなさん(俺らのこと)、忘れないでくださーい!みなさんはぁ、私たちのぉ、宝です!」みたいな事をツバ飛ばしながら熱っぽく語ったのだが、それを聞いた俺たちガキ共は顔を見合わせ「ケッ、よう言うわいこのクソジジイ。小汚いワシラのどこが宝なんなら!」などとせせら笑ったものだ。でも、今はそのクソジジイ、じゃなかったオッサンの気持ちがよ〜く理解できる。げに、子供は地球の宝である。俺もそんなことを心から思える年代になっているのだなぁ。飢餓に苦しむ北朝鮮の子供、銃火にさらされるパレスチナの子供、地雷に足を吹き飛ばされるカンボジアやアフガンの子供、そして、夢のない無機質な価値観を押し付けられて精神を蝕まれている日本の子供。未来ある彼等に俺がしてやれること、それを真剣に考えている今日この頃。
(2003.09.14)

オタマと高田郡高宮町にある香六(こうろく)ダムの「風の祭Part5」にライブ参加。主催は「人間世界遺産」に登録済みのツヨシ。前回出演したのは第1回目だからあれからもう5年も経つのかいなヤレヤレと思いつつ、会場広場へ足を踏み入れると、そこはすでにテントや露店が所狭しと立ち並ぶ、あたかも難民キャンプとノミの市が合体したかのような賑わいに驚かされる。いや、5年前の数倍の規模に成長しているではないか。男女比率は半々ぐらいか。男は髭モジャ&ドレッドヘアーのラスタマン風がけっこう多い。まだ真っ昼間というのに、ビール片手でゴザの上に寝っ転がった泥酔状態の輩も相当数いる。5年前にここで出会った何人かのヤツラとも再会。ヤツラ、ワープでもしてきたんじゃないかと思うぐらい5年前とサッパリ変っとらん。お互い反省の色がないのう(笑)。
さて、俺は13:30あたりに出演。当初は一人で演るつもりだったが、下の駐車場で出会ったFar East Lounge正規メンバーであるパーカッションのツンチャンと、彼と一緒に来ていたSax奏者のミス・ウーノを発見したため、急きょ、3人編成でステージに上がる。そのとたん、風、風、風。そうだった、思い出した、5年前もステージに上がった途端、中国山地の山々から吹き降りてくる初秋の爽やかな風と透明な陽射しの粒子に包まれて気持ちよ〜く歌った事を。それでもう、客にウケたろうとかエエもん聞かせたるとか、そんな気持ちはすっ飛んでしまって、ただただ、俺も風に交わるがごとく、声を出すというより解き放ち、泳ぐように演奏した。始めて一緒にやらせてもらったミス・ウーノのソプラノサックスもトレビアーン!今後もお願いしたいわーん。ああ、来てよかったわい、風の祭。
(2003.09.13)

夕方、西区民センターにて、「バイオリンとビオラの発表会」の司会(笑)。年1回この時期に開催されているこのコンサートは、文字どおりバイオリンやビオラを習っている生徒さん達の日頃の練習成果を発表するもので、縁あって俺が司会を担当するようになって今年で3回目となる。下は幼稚園生から上は50代の社会人まで合計30名がレベルに応じた課題曲を演奏。そこで俺は「さあ続きまして、プログラム3番はナントカカントカちゃんです。幼稚園では、木登りとかけっこが大好きというナントカちゃんが選んだ曲は『ひげじいさん』です。それではナントカちゃん、どうぞ!」みたいなカンジで一人一人紹介するわけだ、このドスの効いた声で(笑)。それにしても、見ていてしみじみ感じるけど、ちょっと練習すればなんとかサマになるギターに比べ、フレットがないバイオリン、ビオラは修得が相当難しいようだ。インスタントに、カッコよさばかりを優先する今の時代(スポーツでも音楽でも、たかだか2.3年やっただけでインストラクターをやれるものってあんまり信用出来んわな)、あえてこの楽器を選んだ皆さんの心を思うだけで、ほのぼのと胸が暖かくなる。この発表会を見るたびに俺も初心に還れる。
(2003.09.12)

朝イチで、ホンダのアシモも真っ青の沖縄は首里が生んだ傑作、フルオート自立二足歩行式CDショップロボ「マキスケ(別名マンゴー2号)」へ、Far East Loungeの沖縄版CD「テビチ記念日」第一便を発送。初回の郵送枚数を彼に相談した時「ソウデスネェ、ジャ、10枚ホド」みたいなかわいらしいことを言っていたが、あとあとの事を考えて勝手にドーンと大量に送らせてもらった。彼はさぞかし驚くであろうケケケのケ。沖縄で売れまくることを強〜く望んでおりまする。で、近いうちに乗り込んでライブをやらかすんじゃ。沖縄の土を踏んで2年。音楽しかり、自然観しかり、人生観しかり、いろんな目を開かせてくれたスピリチュアル・アイランド沖縄に、もっと深入りしたい。
昼過ぎ、かつて同じオフィスで働いていた宝塚大好きデザイナー岡君のカミサン「理沙チャン」が働くお惣菜屋さん「柚きっちん」へ、CDかついで訪問販売(笑)。こういう芸当が無理なくできるミュージシャン、宇宙広しといえど、俺ぐらいのものであろう。サンキュー理沙チャン、ダンナによろしく。2枚お買い上げいただきました。
(2003.09.11)

午前中、安佐南区の某スタジオにて、某プロスポーツチームのTVCFナレーション録り。TVCFやるのはほぼ1年ぶりだ。「はい、まずは、明るいアニメの声優風にいきましょう」「じゃ、次はちょっとシブめで」などなど、ディレクターの指示に従って何種類か声を出す。いつか俺がやってたCFの声を聞いた友人が「よくもまあ、あんな声を恥ずかし気もなく出せるよのう!」と言ったことがあるが、勘違いしないでもらいたい、恥ずかしいどころか俺は楽しんでやっているのである。しかし、もし画面に「声:小林一彦」とテロップが出るなら、やはり恥ずかしいかも知れない(笑)。匿名性故の面白さなんでしょうな。さて、収録時、実は俺、声のコントロールより「便意」のコントロールに難儀していたのだ。家を出がけにガブ飲みした冷え冷えのポカリスエット一気飲みがいけなかったのか、ギュル、ギュルギュル〜と腸が締め付けられる痛みの波状攻撃にさらされ、ディレクター氏から「オッケーです、お疲れさんでしたぁ!」との声を聞いた途端、トイレにダッシュ。間一髪、事なきを得たが、ヘタすりゃ「テビチ記念日(沖縄版CDタイトル)」ならぬ「ビチビチ記念日」になるところであった。
昼過ぎからジミ片山氏の案内でCDショップ廻り。目指すショップへ2人して急いでいると、本通りで聞き覚えのある声に強引に呼び止められる。またしてもイコマユカである。早くCDショップへ行って商談をまとめたい俺たちの焦りを無視して、自分の用件ばかりをイッキにまくしたてるバイキン怪獣イコマッチ。迷惑千万なり。結局30分近くも長話に突き合わされる。
さて、肝心のCD取扱ショップのほうであるが、ありがたいことに市内中心部にあるYショップが快く引き受けてくれました。ただし、「物品販売委託取扱覚書」なる契約書を取り交わしたりする諸々の手続きをこなさなければならないため、実際に店頭に並ぶのは約一週間後。まあ、何事も一歩一歩だ。じっくりまいりましょう。
(2003.09.10)

午前中、自宅にてVTR見ながらの原稿打ち。某民放TVの人気番組のHP用放送ダイジェストを担当して、そろそろ2年ぐらいになるのだろうか。今日もベンベベン、ベンベン!(キーを叩く音)と快調に乱れ打ち、あともう少しでフィニッシュ、というところで、Mac殿、突然ご機嫌ナナメに成り候。ど、どうなされたMac殿!気をしっかりなされませい!御乱心召されますなMac殿〜っ!!と、揺すろうが叩こうが復活せず。やむなく強制終了して起動させると、予想通り3時間もかかって書き上げた原稿がすべてパー!ううっ、あんまりでごぜぇますだぁ!これじゃけぇキカイはキライなんじゃぁあああああ!
しかし、俺はプロである。ショックで10分ほど部屋の隅にうずくまっていたが、やおらモッサリと立ち上がり、シッコに行き、ヒゲ剃って、ついでにシャワーも浴び、気分を変えて薄情なMacにリベンジを挑むと、アララ不思議、まるで消えた文章をなぞるがごとくスラスラ打てるのである。どころか、「ははん、さっきはこう書いたけど、こうしたほうがスマートで読みやすいぜよ」などと、修正してたりして。将棋界のトップクラスは対戦中、頭の中で何百通りものシミュレーションを瞬時にこなすばかりか、いちいちそれを暗記しているというが、俺もその境地に達したか!むはははは!てな具合で、わずか40分で今度こそフィニッシュ。しかし、こんなことをしても、だぁれもホメぬ、トホホギス。
(2003.09.09)

懇意にしているKデザイン事務所の社長K氏とウチのデザイナーM君、そして俺とで、なんかおもしろいショットバーでも出してみんかいや?というハナシで盛り上がる。安くてボロくていいから、市内某所の空き店舗を借り、リフォームや内装をK氏、店名ロゴやフライヤーその他のデザインをM君、店を個性的にする奇抜なアイデアの発想係を俺がやる。俺は「人生は遊園地」と考えているので、できうる限り毎日好き勝手に生きているが、M君などは、ヤバイくらい優れた才能を持ちながらマジメ過ぎるのか、広告デザインという規制だらけのカテゴリーの中でフルに力を発揮出来ないことに、ソートーないら立ちを感じていたらしく、ハナシを持ちかけるとたちまち飛びついて来た。俺は思うのだが、やはり「やったもん勝ち」でしょ?生き生きと楽しく過ごすことが罪ではあるまいに、なぜ、多くの人は「こうあらねばならない」という勝手な思い込みから来る呪縛から逃れられないでいるのだろう。それから、なんでも自分ひとりでやってしまおうというのも、狭いというか、もったいないというか。どんどん廻りの智恵や力を遠慮なく(ただし、しっかり感謝して)借りようではないか。そのほうが広がりや奥行きが出てくる。受け入れるデッカイ器と柔軟なアタマがあるならば、必要な時、必要なものがベストのタイミングでやってくる。で、ますますあなたもハッピー、わたしもハッピー。こんな楽しいことはないどぉ。
ラジオ放送終了後、流川の「カフェ・ジャイブ」へ三宅伸治氏のソロライブを観に行く。氏の演奏は、数カ月前、やはりこの場所で体感しているが、その時はロックンロール汁100%の3ピース編成。今回はアコースティックを使うと聞いていたので、多少は落ち着いたカンジなのだろうと思ったが、モチはモチ屋、ロケン屋はいつだってロケン屋なのであった。いや、凄かった。ギブソンJ50を使ったのは最初だけで、あとはドブロ、テレキャスター、フルアコまで飛び出す、太刀スジ天晴れなロックンロール五十三次ひとり旅(どんなんや?)。途中、フルアコで8ビートを刻みながら、そのまま表通りに飛び出す三宅閣下。最初からそれをやるつもりで長〜いシールドを準備してんだから(笑)。連られてあとを追う観客(先頭は俺。笑)。それはあたかも「ハメルーンの笛吹き」を連想させる光景であった。これ、いつか俺もマネしよっと。アンコールは4回。KEMURIといい、三宅閣下といい、アジアンロック健在なり!
(2003.09.08)

先週土曜日、中国新聞夕刊(あいすみませぬ!朝刊じゃなかったのですぅ!)の芸能欄に載った俺のCDリリースの記事を目にした人から、相当数のCD注文メールが送られてきた。なかには十年以上会っていない古い音楽仲間からのものもあり、嬉しい限りである。で、CDの取扱ショップであるが、急がれる方は、富士見町のスタジオDUCK(082-248-1270)が確実です。ここはしょっちゅう在庫確認しているし、ウチのオフィスからも近いので無くなってもすぐに補充にうかがいます(俺は灯油屋か?)。さらに今週からは市内数カ所に取扱ショップを拡大する予定。それにしても金曜から売り始めて、なかなかイイ滑り出し。意外だったのは、ジャケット2バージョンとも買ってくれる人がけっこういること。全国版のジャケットを担当してくれた見正クン、沖縄版の坪井クン、どっちも高水準のデザインで甲乙つけがたい。結局、レコーディング、ミックスダウン、ジャケットデザインなど、プレス以外はすべてこの広島でやったわけだが、何処に出しても恥ずかしくないレベルと言い切れる。
ところで、奇しくも俺のCDリリース日と重なった金曜のクラブクアトロでのKEMURIライブ。このバンドのことをもう少し語りたい。KEMURIの紡ぎ出す音楽が素晴らしいのは言わずもがな、彼らの独立自尊の精神には見習うところが実に多い。なんと、彼らは未だに事務所に所属していないのである。バンドのスケジュール管理、運営、もろもろの交渉など、すべてを自分達で行っているのだ。ライブ前とあとには、会場ロビーでオリジナルTシャツなどのオフィシャルグッズが売られているが、メンバー自身が売り場に立つことも珍しくない。徹底している。自分達の頭で考え、問題が生じれば納得いくまでじっくり話し合い、決まれば恐ろしいまでの集中力と結束力で突き進む。名は体を表すというけど、彼らの音楽がそのまま彼らのライフスタイルである。
俺は2年前、相棒の久保からKEMURIの存在を教えられるまで、いわゆるタテノリの「スカパンク」は苦手だった。が、CDを聴き、ライブに足を運んで実際に生で体感したKEMURIはこれまでのそれとは全然違っていた。小さなビートの集合体と突き抜けるようなホーンセクションが相まって、オーシャンウエイブのごとく巨大にうねるサウンドを産み出す。そして、フミオの声。ヒクツさや力みがまるでない、なんと自然体な歌い方をするやつだろう。今回でライブを観たのは3回目だが、観るほどに聴くほどに深く高く拡がっていく、素晴らしいヤツら。これからも俺はKEMURIのファンで居続けるだろう。
(2003.09.07)

ちょいと用事があって廿日市までドライブ。道すがら今回の4曲入りCDをガンガン鳴らしながら運転。ふと気付けば、一緒に大合唱している俺。目的地についた時にゃ、車内の狭い空間で大声出しまくったため、かなりの頭痛(笑)。俺はホンマにアホである。ところが用事を済ませての帰路、CDかけたとたん、パブロフの犬のごとく再び熱唱。皆さんも買ったらきっとハマります?!
(2003.09.06)

まずは昨日の屈折日報の続きから。夕方、5日付けの屈折日報をupしたあと、アジア最高のスカパンクバンドであるKEMURIのライブをクラブクアトロに観に行くべく、オフィスをズラかる準備をしていると、同じビルの4FにあるWEB事業部から、俺のCDが納品されたとの連絡があった。急いで行ってみると、おお、ブラボー!ファンタスティック!エクセレンス!トレビアーン!!!ジャケット2パターンの色見も鮮やかに、遂に、俺の人生初のCDが山積みになっているではあーりませんか!早速、WEB事業部のデザイナーM君が、1枚買ってくれ「サインしてください」と言ってくれたときにゃぁ、正直に言おう、俺は感激でペンを持つ手が震えるのを押さえられなかった。ここまで嬉しいとは。ホンマ、全然予想できぬことだった。さて、それならば、と、20枚を引っ掴んで向かった先は、いつもお世話になっている富士見町のスタジオDUCK。ここで先行発売しちゃるぜぇ!たまたま居合わせたシンガーソングライターの永沢竜二君、チカチャンも1枚づつ買ってくれる。そして、残りの大部分を預けてコ−フン覚めやらぬままいよいよクアトロへ。P.M.A(肯定的精神姿勢)を掲げ、音楽の荒野を豪快に突っ走っているKEMURIのまっすぐな演奏を聴きながら、俺はこれまでの我が屈折音楽人生を振り返り、そして今またこうしてCDリリースという新しい展開を迎えられたことに、、、、ダメだ、この心情、うまく表現する言葉が出てこない。ただ、これでエエんじゃ!と、20代のオーディエンスが跳ねまくる中、わけもなくひとり頷く四十路男。途中、会場隅の俺をめざとく見つけたボーカルのイトウフミオ君が、ステージ上から鼻を擦るサインを送ってくれ、なんだかヤツにも俺のハッピーが見透かされたようで照れてしまったりして。
ライブ終了後、相棒の久保と楽屋を訪ねると、ややあって、久保がフミオ君に俺のCDを手渡した。すると、フミオ君、「へぇ、どんなのかな?」と、楽屋にあった、オモチャみたいなミニラジカセで聴き始めるではないか。しかも、楽屋に居合わせたほぼメンバー全員も、腕を組んでじっと聞き入ってる。緊張感でガマガエルのように汗を滴らせる俺(笑)。4曲18分間がこんなに長く感じたことは無かったが、聴き終わってから、フミオ君の「素晴らしいよコレ」を始め「すごいなぁ、やるなぁ」とメンバーやスタッフも絶賛してくれ、かなりの手ごたえを掴むことができた。そしてナント、持って行ったCD4枚すべてが彼らの手に渡ったのである。感無量なり。今回のKEMURIのツアーに同行取材している音楽編集者&ライターとして著明なH氏も「こりゃ驚いた。すごく面白いよ」と言ってくれ、後日CDを届ける約束をする。ついでに打ち上げにも参加させてもらった。サンキュー、KEMURI!俺もこれでしばらく歌えそうじゃ。
明けて6日の夕方、道場へ。もちろんCD持って(笑)。稽古終了後、先生他、兄弟子の面々が買ってくれました。こういう「手売り」っちゅう販売方法も、非常にいいではないか。買ってくれた人の顔が見えるからヨロコビが倍増するんだわな。
(2003.09.05)

先日、某中国新聞社の取材を受けたことをお伝えしたけど、いよいよ明日の朝刊に掲載されるらしい。そんでもって、CDも明日あたりには納品される予定にて、にわかに緊張感が高まってきた。思えば当初は、今年3月あたりにリリースするつもりでおった。それがアレヤコレヤ雑事に翻弄されてなかなか踏み出せずイライラさせられもしたが、7月から実作業にとりかかってからは、割とスイスイいった気がする。ってゆうか、すんごく楽しかった。が、某敬愛するミュ−ジシャンのレコーディングレポートなど読むと、それはときに阿鼻叫喚地獄もかくやと思わされる程、激しい道のりであるようだ。産みの苦しみに七転八倒し、食欲失せ、自律神経もやられ、シッコしても残尿感が残り、人間関係も捩れまくり、、、ああ、こういうのは俺にはできん。さっさと切り上げて、シーカヤックでも漕ぎにいくだろう。ビーチで寝っころがってビールでも飲むだろう。水着のネーチャンにニコヤカに話し掛けるだろう。そんな楽しい気分や前向きなエナジーがこのデビューCDの4曲に凝縮されているのだ。そうとも、それこそが俺らFar East Lounge(極東ブラブラ歩き)の音楽なんじゃい。みんな、聞いてくれ!
(2003.09.04)

同級生でフリーのプランナーやってるGが、アイデアを一緒に考えてくれというので、近所のカフェでひとしきり打ち合わせしたあとの雑談。ヤツが急にスゴイことを口にした。
「そういや、ちょっと前に、ワシャあ、おまえんちの近くの比治山裏で、白骨死体を発見したんで」とぽつり。「ハッコツゥウ?!ど、どこでなら!」どうもこの夏から俺はやたらと驚かされてばかりだが、奴の説明によると、先月はじめの夕方のこと、比治山の南側にある登り口付近(俺のマンションから徒歩5分)を散歩していると、山の斜面の伸び放題になっていた夏草を市の依託で刈っていたオッサンに時間を訊ねられんだと。そんで、「いやぁ、きょうは暑うてやれんわい」「ほうじゃねぇ、熱射病にならんよう気をつけんさいよ」などとしばし立ち話をしてオッサンがまた作業に戻るべく草むらに首を突っ込んだとたん「ぎえぇええええええっ!」と絶叫。何事かとGが駆け寄り、オッサンが震えながら指差す方向を見やればそこに、白骨死体が、というわけだ。
死後、ずいぶん時間が経過していたのか、身につけていた衣服は残っていたけど頭部や手など露出部分はキレイに白骨化していたとのこと。当然Gは警察を呼ぶのだが、その現場のすぐ横には遊歩道や比較的交通量の多い車道も通ってるし、こんな街なかで気付かれなかったのが不思議だと言う。何年前からホトケさんがそこに横たわっていたのか知らないが、この1.2年内のことなら俺も数回近くを通っている。が、考えてみりゃ、別段気持ち悪がることはない。人間、いつかはどこかで死ぬのだ。しかも、家族や友人が悲しまないのであれば「野垂れ死に」は俺の理想でもある。死んだら植物のコヤシとなりやがて土に還るというのは、きわめて自然な死に方じゃないか。現代ニッポンにおいてはあまりにも「死」が忌み嫌われ、隠ぺいされ、そのため「生」の重さや価値もまた見えにくく希薄になっているのではないか。短絡的な動機による殺人事件が多いのもそのせいに思える。今回のホトケさん、なんらかのトラブルに巻き込まれたものでないことを祈ります。どうか、安らかに。
(2003.09.03)

どうしたことじゃ、この暑さは!昨夜のラジオ放送中にパープーアシスタント・イコマがしでかした灼熱ハプニングもたまらんかったが(詳しくは昨日の「屈折日報」参照)、きょうの広島市内の暑いことといったら格別なり。猪木ボンバイエをBGMに、四方八方から強力にせり上がってくる入道雲連合軍にもそそのかされて、思わずフルチンで駆け出したくなるってもんだわな。思うに、こんなとき、人は道を踏み外すのであろう。
ところで唐突であるが、このところ、熱帯魚が飼いたくてしょうがない(いつものように理由などあるわけがない)。以前、仲の良い友人に相当な熱帯魚マニアがいて、彼の家に遊びに行くたび、新しく手に入れたサカナを無理矢理見せられるのだが、たとえばわずか2センチにも満たない淡水フグとか見栄えのしないブサイクなナマズが数万円もしたりして、まったく理解出来なかった。今だって、そんなフグなんぞに大枚をはたく気が知れないが、熱帯魚屋へ足繁く出向いて品定めした結果、俺がイイと思う魚種は、どの店でもかなり安いことが判明した。あと、気になるのは生命力と飼い方である。キレイであってもヤワなのはいかん。俺は熱帯魚にも「根性」を求めたいのだ。水槽はこんなの買って、水草をあんなふうに植えて、アイツラをオスメス4匹づつ泳がせて、水ゴケ掃除人夫にエビも放ち、、、、、今日もオフィスでうわのそら。
(2003.09.02)

イカンイカン、最近、情報が多すぎて脳が完全にオーバーヒート。もとより、記憶できる容量が極端に少ないため、忽ち一定量を超えてしまってあとは右の耳から左の耳へ状態。本日のラジオのゲストも出演時間の振り分けでバッティングしまくってヒヤヒヤしたです。
でも、そんなもんは序の口であったのだ。事件は放送開始から約80分が経過した19:20あたりで起こった。「ガムシャラ一番絞り」というゲストコーナーが終わって3人のゲストが退席した時、スタジオ内が異様に「暑い」のにガマンできなくなった。ゲストとのトークが盛り上がってスタジオが熱気を帯びることはよくあることなれど、それにしては尋常では無い。たしか、ゲストが入室した時、俺はエアコンの室温を24度に設定したしたおぼえがある。ほんとにヘンだ。顔は汗だく、上半身から吹き出した汗も、ヘソに水たまりを作るほど。思わずフラフラ〜と立ち上がって、エアコンの調整ディスプレイを覗き込むと、ナ、ナ、ナ、ナント、誰が変更したのか「27度」設定になっているではないか!これはもう「暖房」である。そこへ、曲をかけている間、ニュース原稿を取りに行っていたアシスタントのイコマが戻って来た。「お、おいっ、これを見てくれ!だ、誰かがいつのまにか27度にしとりやがったんじゃっ!」と、俺がうろたえながらディスプレイを指差すと、神をも恐れぬ驚愕のコメントが帰って来た「ああ、それね、さっきウチが放送前スーパーに買い物行ったとき、冷房が効き過ぎて体が冷えたんよ。ほいじゃけぇ暖房にした」。親愛なる読者諸兄よ信じられるか?自分が寒い、ただそれだけの理由でメインパーソナリティはおろか、ゲストさえも灼熱地獄に道連れにするこの神経。サスガは人間世界遺産に登録しただけのことはある。このように、俺のラジオは心身共にタフさが要求されるのだ、、、、、、。
(2003.09.01)

すでに陽射しが軽くなっている。夏が中途半端なまま幕引きとなったせいか、なんかやり残した気がして今回の秋の到来にはいささか焦りを禁じ得ない。千利休ではないけど、やっぱし夏は暑く、冬は寒くあってほしい。
尾道で、主に登校拒否児童をサポートしている「井上塾」代表の井上 浴さんから、彼の書き下ろし長篇作「太田川〜評伝・渡 康磨・川漁師〜(家族社¥1800)」が送られて来た。井上さんとは、俺が創刊以来コラムを連載している、太田川の環境・民俗学・動植物の生態系を検証する月刊誌「環太田川」が縁で知り合ったのだが、このような著作活動に勤しんでおられるとは、オドロキだ。だって酔っぱらったところしか見たことないんだもん(笑)。実在する太田川の伝説の川漁師「渡 康磨」を主人公にしたこの評伝、最初の数ページ読んだだけで、勝負あり。作家井上 浴のハンパではない筆力がページから馥郁と立ち上ってきて、ぐいぐい引き付けられる。時間を作って、じっくり読み倒したい。それにしても、市内南区在住のやはり友人である小説家、侑木京介氏といい、この井上さんといい、いずれも地元広島を舞台に創作活動を続けておられるわけで、非常に勇気づけられる。これでイイのだ。作家もミュージシャンもアーティストもダンサーも、自分が好きな場所に住めばよろしい。「中央志向」がナンボのもんじゃい。ついでに東京あたりを「中央」などとへりくだって呼ぶのもヤメにしましょう。随処作主立処皆真。天空の星々は、それぞれが散らばっているからこそ美しく輝けるのだ。今、ここに在る唯一の自分に、もっともっと、誇りと愛情を持って生きようではないか。
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